朝自慢

北朝鮮のアイドルと海産物について

心が弱っている時にサウナに行ってはいけない

 同郷の幼馴染に誘われて、久しぶりにサウナ付きのカプセルホテルに行った。

 交通の便がいいところで、明日は出勤時間が遅めなことだし、このままここに泊まってゆっくりして、直接出勤しようと思っていた。

 でも今さっき、僕だけ先に帰ってきた。

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新聞に関する私のトラウマ

 うちの父さんには年の離れた兄がいる。

 うちの父さんは、その兄の話をしない。話に出さない。親戚でその人だけいないように振る舞う。

 うちの父さんはすごく温厚で、のほほんとしている。卑屈なわけではないが、偉い立場でいることを極端に嫌う。父さんがなぜそうなったのかを僕は知らない。でも、とにかく家の中でも家長として振る舞いたがらない。美味しいところは母さんにあげる。外食に行ったときに美味しいものは子供たちに分ける。旅行の時は徹夜で運転して観光地に行き、子供たちが遊んでいるうちに寝て、また徹夜で運転して帰る。

 母さんが増長した原因は父さんにあるのかな、と思う時がある。僕は母さんの教育方針を不快に思っていた。男らしくしろ、男らしいことをしろ、という圧力をかけてくることが嫌だった。思えば父さんが男らしくなかったことを嫌って、子供に理想像を投影していたのかもしれない。

 こんなことを考えたりして、ともかく、僕は父さんが、日頃ずっとのほほんとしていることを、ちょっと嫌に思っていた。

 

 でも、父さんがたまに、かなり露骨に嫌な顔をするときがあった。

 僕は昔から活字っ子で、家で取っていた朝日新聞をくまなく読んだり、家にあった偉人伝や科学読本みたいなものを夕飯後に30分くらいかけてどこかしら読むということを日課にしていた。(これは母さんに望まれて習慣化していたのもある)

 幼稚園や小学校から帰ってきてポストを見ると、大体朝日の夕刊が入っていて、それが雨の日だとビニール袋に入っていたりして、それをビリビリ破きながらエレベータに乗って、自分の部屋に帰ったりしていた。

 ある時、赤だったか青だったか・・・の紙が巻かれた、三つ折りになっている、変なサイズの新聞がポストに入っていた。

 うる覚えだけど、帯にはウチの住所が書かれていた気がする。(記憶が定かではない)

 これ自体は前から家の中でちょこちょこ見かけていたのだけど、ガキの僕には手の届かない高い位置に置かれることが多く、あんまり読めなかった。

 普段読ませてもらえないそれが、ポストに入っていた―――。僕はちょっと嬉しくなって、それを持って帰って、こっそり偉人伝とかを置いている本棚(というより、床に直置きされた箱の中にブックエンドを突っ込んで本を並べた代物)の中に隠した。

 

 母さんと兄弟で夕飯を食べ終わって、普段なら朝日の夕刊を読むタイミングで、僕は隠していたそれを取り出して、帯を外して読み始めた。

 昔すぎて自信がないけど、朝日とは違う紙質で、朝日とは違う鮮やかな発色の赤・青インクだったと思う。普段は「朝日新聞」と書かれている欄に違う文字が入っていて、なんか紙面のテイストが違うんで新鮮。親が子供の手の届かないところに置くのは、単にこれが僕の教育を企図して取っている新聞=朝日新聞ではなく、親が読むためのものだからだろう、とか、そんなことを思っていた気がする。

 一面を床に広げて、バーッと読み進めている最中に、父さんが帰ってきた。父さんは僕が朝日新聞を読んでいると「勉強熱心だねえ」とか言って褒めた。僕は父さんに褒められるのが嬉しかったから、いつもこれ見よがしといった感じで朝日新聞を広げていたのであった。

 その日も、今日なんかはいつもより難度の高い新聞を読んでるぞ、と、ちょっと誇らしげになりながら、新聞を広げていた。

 

 父さんはかばんを置いて、僕のところに来た。

 僕が床にいつもと違う新聞を広げていることを認めると、そのまま何も言わずにじっとしていた。いつもと違う父さんの動きを感じて、僕が顔を上げると、

 

 父さんは顔をしかめていた。

 

 明確に、すごく嫌な顔をしていた。

 

 嫌な顔をして僕のことをじっと眺めたあと、しゃがんで新聞を折りたたんで、どこかへ持っていった。

 僕は褒めてもらえなかったばかりか、温厚な父が普段見せない怖い顔でじっと見つめてきたことの怖さを感じた。その後のことはそこまで記憶に残っていない。

 

 また、同じ新聞がポストに入っていることがあった。

 持って帰ってきて母さんに「これは読んじゃダメなの?」と聞いたら「ダメ」と言われた。

 僕が活字に触れることについて、うちの両親は非常にポジティブだったから、特定の郵便物、しかも僕でも朝日の少し上くらいの難度で解せる文章に触れることをこんなに嫌がられるということに、腑に落ちなさを感じた。

 

 また別の日に、同じ新聞がポストに入っていた。

 僕はそれを一緒にいた父さんに見せながら「なんでこれは読んじゃダメなの?」と聞いた。

 父さんは確か「そこに書いてあることは、あんまり読んでほしくないな」とか言っていた。

 僕はそれに対して「なんで読んでほしくないの?」と返した。

 父さんは「それは、○○おじさんがお父さんに『読め』って送ってきてるものなんだけど、お父さんは読みたくないし、毎回捨ててるのよ」と言った。

 僕はやはり釈然としなかったし、帯かどこかに値段が書いてあったので、それを読まずに捨てることにもったいなさを感じた。

 

 ○○おじさんは、僕の記憶の最初期で、そういう文脈で登場している。

 不定期に変な新聞を送ってくる。

 おじさんの話をすると父さんははぐらかす。

 母さんに至っては、新聞もおじさんも存在しないかのような態度。

 とにかくお前は、朝日新聞だけ読んでいればいい、という感じがした。

 当時は祖母が読売と朝日の読み比べをしていて、僕は幼いながらに、複数届く新聞のうちひとつのみを子供に読ませるのってどうなんだ?って思っていた。

 おじさんからは小包が届くときもあって、中には大抵本が入っていたのだけど、父さんはビニールひもで縛って、書斎の高いところに上げていた。これも幼いながらに、異常だと思っていた。

 

 

 ある時、父方の親戚みんなで旅行に行くことになった。

 山の中のホテルを取って、みんなで浴衣をして何かをして遊んだ気がする。

 正直昔すぎて詳細なことを覚えていない。

 でも僕は、この時の出来事でひとつ、はっきり思い出せることがある。

 

 そこそこまとまった人数になって、交代で風呂に入ることになった。泊まったところには露天風呂があり、男女それぞれ混合で風呂に入ったのだ。

 僕は親父と弟と一緒に風呂に入った。そこに○○おじさんがいた。直前になんとなく挨拶していたので知っていた。風呂の外では池袋の「油そば鈴の木」の店主みたいな眼鏡をしていた気がする。

 おじさんはニコニコしながら、父さんに話しかけてきた。最近どう? 色々うまく行ってる? みたいな、やさしく気に掛けるような質問だった気がする。それに父さんは割合にこやかな表情で、まあそこそこ、とか、別に・・・とか、適当な返事をしていた。

 弟がすぐにのぼせたらしく、父さんと弟は先に上がることになった。僕はまだのぼせていなかったので、露天風呂に残りたいと言った。父さんはちょっと嫌そうだったけど、あんまり僕を連れ戻してもおじさんに失礼だと思ったのか、そのまま屋内に戻って行った。

 

 おじさんは僕に話しかけてきた。

 「義俊くんは送ってる新聞、読んでくれてる? 本とかもあると思うけど」

 それに対して僕はこう返した気がする。

 「読むと怒られるから読んでない、読もうとしたら捨てられちゃう」

 

 おじさんは途中までおだやかな顔だったのに、僕がこう返したあたりで、どんどん目を見開いてきた。

 しまいには、カッという感じで目をめいっぱい開き、時折ぱちくりとまばたきをして、僕のことを凝視した。

 そして

 「なんで?」

 と聞いてきた。

 僕には、おじさんが怒っていることが伝わってきた。僕に対して怒っていると感じた。でも、僕は読みたいのに取り上げられている立場で、どう返せばいいか分からない。

 温泉がひときわ熱く感じてきた。すごく心臓の音が聞こえる。おじさんはずっと目を最大まで見開いている。非常に苦痛な沈黙の時間が流れ、そのままふたりとも、全裸で森の中の露天風呂で固まっていた。

 

 おじさんは途中で、急にまたやさしい目に戻った。

 「君に聞いても、わかんないよね」

 僕は頷いた気がする。

 そのままおじさんに促されて、一緒にシャワーを浴びて、脱衣所に出た。

 心なしか父さんは、ムスッとした顔でおじさんを見ていた。

 

 

 今振り返ると、父さんがおじさんに持っていた警戒心は、真っ当なものだった。

 おじさんが我が家に送り付けていた「新聞」というのは、おじさんが信仰している新興宗教の機関紙だった。

 おじさんが我が家に送り付けていた「本」というのは、おじさんが信仰している新興宗教の教祖を褒めたたえたり、教義を正当化したり補強したりするものだった。

 おじさんは僕が活字っ子だったことを知っていたか分からないが、僕のことを「教化」しようとしていたのなら恐ろしいことだ。

 

 おじさんは父さんの実家から勘当されていた。なんで勘当されたのかはうる覚えだから自信がないけど、いろいろやらかして親族の総意で追い出されたのは確かなようだった。

 じゃあなんでおじさんがホテルに来ていたのかはよく分からない。今のタイミングで父さんに聞いたら警戒されそうだ。わざわざ呼んでいたのだとしたら、親族側によりを戻す気があったのかもしれない。

 おじさんは目を見開くことで、僕に対して威嚇せしめた、というより、僕を通して父さんを威嚇していたのかもしれないが、当時ごく幼かった僕がそんな風に推察できるわけでもなく、ただただ敵意を向けられ、怖い思いをした記憶が残った。

 

 

 

 

 数年後に僕ら親戚一同はめでたく争族となり、ぐちゃぐちゃになってバラバラになった。それもあって僕は○○おじさんが今なにをしているのか全く知らない。ただ争族になった時点でもおじさんは親族に復帰させてもらえてなかったこと、そして権利がないにも関わらず権利主張をして暴れまわったことだけは聞いている。

 僕が理不尽なものを憎むようになったことには、争族も含めて段階的に色々な出来事があったのだが、おじさんに風呂で凝視された件は、割と序盤に来ると思う。そういう意味では僕に大きな影響を及ぼしたおじさんだった。

 

 僕は反抗期の時に、父さんが隠していた本たちを勝手に読んだりした。

 その宗教の危険性はなんとなく知っていた。どんな頓智気なことが書いてあるのか気になった。

 でも結局、パラパラとやるだけですぐにオチを見て、ふうん、となって片づけた。その宗教に向き合うことで、おじさんに凝視されたことがフラッシュバックして気分が悪くなったりもした。

 

 最近メルカリをはじめた。

 家のなかにある、金目のどうでもいいものを色々出品しようとしている。

 実家にあるもので、誰もいらなくて、お金になりそうなものって何かないかな・・・と色々考えたところ、おじさんが送り付けてきたまま未処分の本を思い出した。

 売れるのかなあ、売って足がついたりするのかなあ、でも誰もいらないしなあ・・・と思いつつ、当面実家に帰る用事もないので、このタスクは先送りにしつづけている。

 僕は実家に帰りたくないので、当面は別に出品できなくてもいいのだけど、嫌々実家に帰るときに多少のインセンティブにはなるのかなあと、きたる未来に向けて「溜めて」いる。

 穿っているにせよ、いま僕はこの宗教に対して初めて、ポジティブな面を見出している。でも出品した本が売れないくらい、その宗教が支持されていないほうが、ある意味で僕は救われるかもしれない。

無題(3)

 最近「居場所がある」ことに慣れきっていたから、元々「居場所がない」人間だったことを思い出して、泣いてしまった。

 家族で集まって会議をしていた。家族に不幸な出来事があって、その対処を話していた。別に誰にも対立する意図はなかったんだけど、負の出来事や負の感情は、潜っていただけの悪感情を顕在化させてしまう。

 うちの家族はお互いがお互いをうっすら憎んでいるらしい。一人暮らし中の弟がそうかは分からない。弟は大学の授業が全部リモートなんで、4月に寮を解約して帰ってくるらしい。でも心底帰ってきてほしくない。弟にまでこんな悲惨な目に合わせたくない。

 僕は面倒事に巻き込まれたくないので、なんとなく全員のことを代弁して、それぞれの味方を装って中立でいようと努めていた。でもなんか、そのせいで全員とうっすら敵対していて、全員から嫌われていたらしい。

 家の中で立場の弱い妹のことは特に庇っていたつもりだったのだけど、イヤミを言われた。ヒートアップした時のことを二人になってから諌めたら、キッショと言われた。

 まあ、そんなもんですね。家族っていうのは。

 母さんはブチギレて人格攻撃ループを始めるし、それに苦言を呈されたら今度は泣き始めたり、もう出てくぞ!と叫んだりし始めた。母さんは酔っ払うと叫んだり手を上げたりする人だが、今日は酒が入ってないのに随分めちゃくちゃになっていた。問題を整理して、ここは貴方のせいです、と言われると、それだけで逆上したりする。理性的な進行は無理らしい。

 全員、金や地位に恵まれず、存在を足蹴りにされ、能力を封じられて生きてきたんだと思う。そんな気がする。そういう家族になってしまった原因を、家族の中に求めたくはない。きっと、社会が悪い。陰険な田舎者共が、田舎に蔓延る因習が、それを美化する社会が、社会を肯定する国家が、悪い。

 辛い人間同士が集まっても、喧嘩しか起きない。チンケなプライドで、自分のほうが優れていると思いたがる。僕だって、ブログを褒められたりしたからいい気になってこんなところに書いているけど、逃げ道がここにしかなかっただけのことで、褒められたものではない。

 褒められたものではないなどと一歩引いて考えられる風でいるのも卑怯なんだろう。

 

***

 

 ずっと、やさしい人間になりたいと思って生きてきた。

 優しくされたことがあまりなくて、優しくされたときの感動がひとしおだったからだろう。

 でも、優しくされていなかった人間が、果たして他人に優しくいられるのだろうか。

 仲良くしていたい相手に悪態を突いたことは一度ではない。イヤミや小言のようなことも言ったことがある。言い方を知っているし、言って気持ちが晴れることも知っている。

 「優しい」ということについて、社会的な価値はあまりないということが分かりつつある。デリカシーのないヤツを持ち上げたり、それを嫌がると出る杭なんたらと説教を垂れたり、最近はそういう人が多い。

 誰かの言うところでは「優しい人」とか「優しそうな人」というのは、他に褒めるところがない人について使う婉曲表現であるそうだ。

 自分が人に優しくなろうと努めてきたことは、他人からしてみれば、外面のよさに拘ってるイヤミなヤツと捉えられかねないものだった可能性がある。

 社会の中で、非難を受けるべきではない人にヘイトが集中しているのを見かけて、タゲ散らしを工作してみたり、自分がデコイになったりする「人助け」がある。自分もそういうのをやっていたが、今回は「余計なお世話」になってしまっていたようだ。

 まあしかし、同様に「余計なお世話」扱いされている「人助け」は、やっている人が往々にして自己満足げだったりもする。そしてこの人こと本当に善に生きてる人なんだ!と思った人が、その後にデコイだった経験を使ってビジネスをしたり、自分の主張を拡散する手段に使ったり、インフルエンサー化して信者に囲われて悦に浸っていたりすることが、ネットを見ているだけでもまあまあある。

 こういう経験を重ねることで、徐々に人を信用するための体力が削がれていく。

 

***

 

 

 結局この記事を書いたときから、状況はあんまり変わっていない。

 これ以上この場所にいたら間違いなく僕の感性は腐ってしまうが、働けど働けどお金は貯まらず、やれどもやれどもタスクは減らず、授業もないのに体調を崩しかけている有様だ。

 いっそ「恵まれない浅島に愛の寄付を~」とか呼びかけて口座を晒してやろうかとも思ったが、それが許されるのはせいぜい小学生以下の容姿端麗な子供であって、薄弱な僕を支援してもその人の「価値」にはならんのだろうな(などと最近は考えている)。

 まあ、結びに俗な願望くらい書いても許されるだろうと思って書くと、向こう半年程度、22歳異常独身男性を居候させてくれる心の広い人がいたら、DMをください。食費と光熱費は出しますし、家事は一通りやりますんで。どうか。

やれていることと、やりたいこと

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青山の人間は見栄っ張りなので、このように家がハリボテの場合がある

 浅島という人間は欲張りなので、やりたいことがたくさんある。

 まず、青山に住みたい。でも青山の人間にはなりたくない。青山に住んで、青山の人間たちを至近距離から観察したい。紀ノ国屋でネギを買い、グリーンシードに家賃を払い、Tシャツ短パンでゴミを捨てに行く金持ちを見たい。僕が住む家は精々月10万くらいで借りられる”ボロ家”で構わない。

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死者の尊厳について(本番原稿+注釈)

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今年2月、六本木ヒルズには美空ひばりが「展示」されていた。

以下の内容は、第1回 國學院大學学長杯争奪全国学生弁論大会 に登壇した本ブログ管理人が、本番で用いた原稿に注釈を加えたものです。

感想は大会総括記事に書きます。何卒。

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