朝自慢

北朝鮮のアイドルと海産物について

無題

人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない。

都合のいいことを言うよなと思う。都合よく出来ているよなとも思う。

人は死ぬ。確かに死ぬ。いつかは誰もが死ぬ。

そして大抵の人は、死ぬことを自由に出来ない。

 

死ににくい時代になった。

命が遥かに重くなった。

文明が進んだと誇る人がいる。

昔を懐かしんで嘆く人がいる。

そして中には、その両方が同居している人もいる。

 

僕の知っている人でそんな人がいた。

 

人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない。

知らない人もいるかもしれないが、これは麻原彰晃の言葉だ。

信者を洗脳する為に、暗い部屋に閉じ込めて、麻原が吹き込んだテープを延々と聞かされる。

そしてこれは特に、映像が伴うもので、死んだ人の映像なんかが次々に出てくる。

死んだ人のカラダをすすんで見ようなんて思う人はほとんどいない。

このテープも、そういう人はいないだろうという前提で作られたものだ。

だからオウムに引っかかるような純朴そうな人たちにはよく効いた。

 

人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない。

そう、死は避けられない。

で。

死んだらその人はどうなるか。

消えてなくなるのか。

天に召されるのか。

 

僕の知っている人は、死ぬのと消えるのは違うと言った。

なんでそんなことを言うんだろうと思った。

なんで僕に言うんだろうと思った。

僕らはクラブクロールの階段の下にいた。

その人はカメラを手に持っていた。

僕は「Canonしか触ったことがなくて」って言ったと思う。

その人は少し寂しそうにしたと思う。

 

よく覚えてる。

死んだらどうなるのか。

楽しい話ではなかった。

時間を埋めるような会話だった。

僕はそのつもりで聞いていた。

でももしかしたら、その人はそんなつもりじゃなかったのかもしれない。

そんなことを、今になって急に思うようになった。

「覚えられてる限り生きてるんだよ」って言われた。

僕は「ネットでそんな投稿見ましたね」って返した。

その人は、なんて答えたらいいのかわからない様子だった。

それで、少し逡巡したあとで。

「浅島くんはどう思う?」なんて聞いてきて。

僕は「確かにそうかもしれないっすね」って答えた。

 

そんなこと、答えなきゃよかった。

本当はそんなこと思っていないのに。

僕は大層な人生を歩んできたとは思っていないが、それでも人並みに色々な経験をしてきたつもりだ。

その上で、僕は僕が僕じゃなくなった後に僕だったものがどうなるのかなんてそんなものに易易と結論は出せないだろうと思っている。

思っているだけで口に出したことなんて一度もない。

ある人はその人の死生観で人格の良し悪しを分別するだろうし、

ある人はその人の死生観を哀れんだりもするのだろう。

僕はそのようなものに曝されたくないと思っていた。

こんなものはただのわがままで甘えなのかもしれない。

あの人は結論を出そうとしていたのかもしれない。

僕はその場から逃げたんだ。

彼を置いてけぼりにして逃げ去ったんだ。

きっとあの、寂しそうにカメラを撫でる目はそうだったんだ。

それを理解して、あんな顔をしていたんだ。

 

今になって、色々なことを思い出している。

長い付き合いじゃなかった。

数えるほどしか会ってない。

リプライを送ったら無視された。

ふぁぼをつけたら空リプをくれた。

そのやり取りがどこにいったかを探るのは大変そうだ。

それに、自分が今それを求めているような気もしない。

ただ、思い出している。

 

セルリアンの通用口から二人で出てきた。

駅に向かって歩きながら音楽を聞いた。

あの人はイヤホンを貸してくれて、好きだというメタルの曲を聞かせてくれた。

初心者向けって言われたけれど、あらかた普通のメタルが流れてくるんだろうと思って待ってた。

あの人は爆音で何らかの曲を流した。

正直曲の内容は全然覚えていない。

月が出てて、雲が出てて、歩道橋の右脇のビルにはコカコーラの瓶を斜めにした看板が出てて。

そんな瓶タイプのコーラ、今時ハコでしか見ねえよって思いながら、

アスファルトみたいなものが敷かれた歩道橋の上を二人で並んで歩いていた。

 

どうだった? ってあの人は尋ねてきた。

僕は肉体労働でヘトヘトになっていたから、うまく頭が回らなかった。

よくわかんなかったですとか、そんなことを言ったような気がする。

そしたら、そうか・・・って言われた、と思う。

歩道橋を降りて、自然とスクランブル交差点に足が伸びて、

「なんか食べてこうよ」って言われた。

そういえばあの人は上京して一人暮らしで、炊いた米をおかずなしで食ってて大変、なんて話をしていた。

金欠で苦しいってずっと言ってた。

それなのに。

貴重なはずの外食の相手に、僕を選んでくれた。

きっといろんな話がしたかったんだと思う。

話が大好きな人だった。

僕は、もう終電なんでムリですって言って断った。

あの人は残念そうにしていた。

 

あの人が口を聞けなくなったあとで、やっと僕は、あの人に聞きたいこと、聞いてもらいたいこと、議論をしたいことが、やっと、やっと出てきた。

今、そんなことが山のようにあって、でも最早それは叶わないことで。

本当、僕はバカだと思う。

 

僕は大層な人生を歩んでいないと思う。

だからその境地に立つような人と同じ言葉を紡げない。

僕の口から出る糸はいつもうまく撚れてない。

頭で考える段階で、うまく形に出来てない。

だから、なにかうまいことを言おうと思うと受け売りになる。

 

だからこれは受け売りなんだけど、

多分、人生の脇にはいっぱいいろんな穴が開いてるんだと思う。

普通の人は、暗かったり目が悪かったり、そもそもそっちを向いてなかったりして、気づかないで歩いていける。

でも一部の、頭のいい人達は、その穴に気づいちゃう。

気づいちゃうから、覗き込んで、落っこちる。

 

落ちることが偉いだなんて思ってない。

思ってないけど。

でも、その穴をきちんと見つけられる人のことを、少しだけ羨ましく思う。

昔から多くの哲学者や政治家が、その穴を見つけて落っこちていると思う。

僕なんかは、穴なんか見えてないくせに、いっちょ前に穴に恐怖心を抱いてビクビクしている。

でももし、いつか穴を見つけることのできる日がきたら、多分僕は覗き込むんだろうなと思う。

その先どうなるかは、今の僕には分からない。

 

人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない。

それで、死んだらその人はどうなるのか。

色んな人がそのことに一定の答えを見出そうとして様々なことを試みているのを知っている。

それで金儲けする連中も、虚栄心を張ろうとする連中も知っている。

でも結局、その答えを生きたまま知る術なんかこの世のどこにもない。

 

僕はあの人の残り香を吸って生きていくんだと思う。

人が死ぬのはカラダを無くしたときじゃない、人に忘れ去られたときだ、なんて。

いやまあ、そうかもしれないけど。

僕は果たしてその匂いを、どれだけ覚えていられるだろうか。

何かが確かにそこにあると言われても、僕はもうそれに触れられないし、抱きしめることもできない。

僕の心が少しだけ抉り取られて、あの人の残り香だけがその中を漂うのだろう。

こうやって、ちょっとずつ、心が何かに削られていくんだろう。

でも僕は、僕に隙間を空けた人を恨めしいなんて思わない。

その穴の形を大事に覚えて、一緒に生きていく。

心に入ってこようとする残り香が、いつまでも風に靡かれないように。

そうやって、いつか僕が死ぬ時に、

このカラダは、僕だけのものじゃないって、

僕の中にいろんな隙間といろんな匂いが棲み着いて、

いろんな人の思いとか思い出とかと一緒に燃やされて、

そんでどこか遠くへ運ばれていったときに、

僕のカラダを削り取った人たちと相まみえて、

お互いのカラダの欠片を元の形に埋めあって、

それで「よくも俺のカラダをこそげ取ったな?」なんて軽口を叩きあって、

そうやって僕は死にたい。

 

確かに、死ぬのと消えるのは違うのかもしれない。

僕はそれを確かめることができない。

あの人が今、消えたい、忘れられたいと思っているのか、それともそうじゃないのか、それすらも確かめられないことがもどかしい。

でもあなたが誰かに唆されたとか、脅されたとか、それがよく効いたとか、そんなことは絶対にないってことを、僕は知っている。

あなたは自分で自分を自由にした。知りたいことを知ろうとしたのかもしれない。それがうまくいったかは分からないし、うまくいっていたとしても、おめでとうございますなんてとても言う気にはなれない。

ただ、これは言えるということがある。

僕はあなたのことをずっと覚えていられる。

あなたがどんな人で、どこでどんなことをして、どんな人と出会い、誰を愛し、誰に愛されたかなんてことを詳らかに知っているわけではないけれど、

僕の一部をこそげ取って持っていってしまったから、僕はあなたを忘れ切ることができない。

僕はあなたのことを自由にできないのに、あなただけは僕の中身をほじくり返せるのですね。

そのことだけが、妬ましく、恨めしく思います。

でもきっと立場が逆だったら、増田かどっかに同じようなエントリ出しますよね。

そうでしょう? 岡崎先輩。