朝自慢

北朝鮮のアイドルと海産物について

岡崎さんへ

あなたの葬儀を安曇野で終えてから、僕は甲府まで鈍行でゆっくりやってきた。

途中で何回かの睡眠を挟んだ。

告別式から出棺までの間で、お昼をいただいた。

でも僕は碌に食べることができなかった。

だから僕は、甲府につく頃にはもうすっかり空腹になっていた。

朝だって、昨日の残りのキャベツスープをかっ込んだだけで出てきたのだ。

僕みたいにエネルギー効率の悪い人間は、今日ここまでの食事ではガス欠を起こしてしまう。

畢竟僕は軽食を要求された。本当は電車賃と御花料だけでも精一杯なのに、このままだと家に帰れなくなるような気がしてきた。

故に、甲府で途中下車して、何か腹を満たそうと南口へ飛び出した。

イムリミットは20分。その間に店を見つけて、食べて、立川行きの鈍行に乗らなければならなかった。

 

この目論見は失敗した。

散々迷った挙句、よくある立ち蕎麦に入って、モタモタと注文して、ズルズルと食べた。

立川行きは僕を置いてとっとと出発してしまった。

次の鈍行を待つと一時間かかる。

甲府は雨が降っている。

おまけに、革靴だ。あなたと働いていた時に履いていた、あの革靴だ。

 

僕は観念して、あずさの自由席券を買った。

今、この部分はあずさの中でパソコンを広げて書いている。

これから先、どの文までが車内で書かれたものになるのかは、書く前なので分からない。

 

今の状態を、書く。

目がとてつもなく乾いている。

持ってきたティッシュを使い果たした。

手を洗った後に使うのを躊躇するくらい、ハンカチが湿っている。

体力は、もう限界に近い。

昨日は9時間働いて、一時間だけ寝て始発に乗った。

鈍行の中でいくらか寝たが、それは十分な睡眠でなかった。

だいいち僕は持病のせいで、10時間程度寝ないとパフォーマンスに支障が出るのだ。

だから今日の僕は、きっとどうかしていた。

かなりどうかしていた。

じゃないと、なんであんなに泣いてしまったのか、分からない。

 


 

僕は昨日、仕事から帰ってきて、夕飯を取ってシャワーを浴びて、それからあなたに向き合う時間を作った。

僕が一方的にあなたの方を向いているだけなんだから、あなたにとってはどうでもいいことだろうし、多分関知もされてないんだろう。

僕はこの前からずっと、考え事をしていた。

それがすべてじゃないけど、ツイッターに「あ“-」とか「う”-」とかばかり書いていた。

いや、先輩のそれがすべてではないんですが。

色々なことを考えても、それは大抵、文章化できない内容だったり、ひけらかすものじゃなかったり、

文章に起こそうとするととてつもないエネルギーがかかったりして、僕は「あ“-」と縮めて書いていた。

「あ“-」から、元の文章を想起させることは無理だ。

でも、考えて、考えていたことをどこにも出さないならまだしも、考えていたという動作、事実を、どこにも出さないまま消してしまうのは憚られた。

だから僕は、思考のマイルストーンインターネッツの海に遠投して回った。

まあ僕以外の人間からしたら迷惑でしかないんだろうけど。

 

考えることは難しいし、それを言語化するのはもっと難しい。

あなたならきっと頷いてくれるはずだと思って書いている。

本当に頷いてもらえるかどうかは確かめられないけれど、多分大丈夫。

だってこの言葉はあなたの受け売りだから。

棺に収まったあなたの顔を見たとき、なんだか分からないまま僕は泣いてしまった。

顔を背けて、ロッカールームへかけこんで、ひとしきり顔を拭ったあとで出てきた。

そうしたら、まいさんが泣いていた。

それを見て、僕はまた泣いてしまった。

なんの声もかけられなかった。

どうすることもできなかった。

僕は今、この時に思っていたこと、考えていたことを、どうやって言語化すればいいのかと頭を抱えている。

言語化できないかもしれないし、する必要もないかもしれない。

でも、書く。少なくとも、今朝の僕は書いた。

 

今朝のブログを書いて、あなたについて考えていたことを一通りまとめたつもりだ。

でも、やっぱ足りないんじゃないかって思った。

朝は、そんなことは思っていなかった。

三時に起きて、支度して、五時に出た。

電車に乗って、八王子で乗り換えて、高尾でまた乗り換えて、そのまま松本にきた。

電車の外は晴れていて、稲を刈る農家が多くいて、どこまでも続く田んぼと森林のコントラストを楽しむ余裕さえあった。

窓際は少し冷えたけど、そこまで深刻じゃなかった。

寝たり起きたりしているうちに、僕は松本に到着した。

 

大糸線に乗り換える時、プラットフォームで電車を待つ人の半数以上が喪服を着ていた。

乗車人数自体がそんなに多くなかったのかもしれないけど、でもあの電車は、あの場所から動く目的の半分をあなたのためにしていた。

喪服組は大体固まって乗車して、特にしゃべることもないまま座っていた。

しばらくすると、指定された駅に到着した。

一同下車して、迎えのバスに乗った。

これが、10時半くらい。

 

会場について、受付を済ませて、控室に集まった。

ほとんどの人は喋らなかったし、喋ることを求めていなかった。

他の人は分からないけど、僕はあなたへ意識を向ける作業をしていた。

もう朝にブログを書いたときに、たくさん思い出して、たくさん書いたんだけど、

まだ足りないと思った。

 

告別式が始まった。

あなたの人生が紹介され、賛美歌が歌われ、そしてまいさんが出てきた。

まいさんの言うことをちゃんと聞いていましたか。

僕はちゃんと聞いていました。

でも、その完全には覚えていません。

なんだか、ただ泣いてしまった。

まいさんが話していたのは、あなたとまいさんとその周囲、あるいは二人きりのことについてがほとんどだった。

でも、ちょっとだけ分かることがあった。

コンペ、最後まで出さなかったんですね。

 

僕はこれでも、高校時代は写真部に入っていた。

写真のコンペってのは難しい。あまり出したくない。よく分かる。

審査っつったって何をやってるか分からないし、だいいち審査員ごときにその写真の価値や良し悪しを判定されたくない。

よく分かる。

多分、あなたは自分の写真に、それなりに自信があったんだと思う。

でも、それを誰かのものさしで量られたくなかったんだと思う。

僕の勝手な、想像だけど。

特に被写体に入れ込んでいたり、被写体にしたものや人が本当に好きだったりすると、その作品がコンペにかけられて足蹴りにされるようなことがあったら、それはすごく恥ずかしく感じると思う。

それで、申し訳ないと感じるんだと思う。

だからあなたはどこにも出さず、あくまで好きなものを好きなように撮って保存することに注力したんだと思う。

 

あなたは優しい。

あなたは純朴で、

よく考える人で、

よく動く人だった。

傍から見ててもそう感じた。

 

まいさんの言っていたことはほとんど正しいんだと思う。

だからもし、あなたがあの場できちんと聞いていたのなら、

ちゃんと受け止めてあげてください。

僕がこんなこと書くのも変だけど、

でもやっぱり、二人にしか分からないことがいっぱいあるんだなって、

それでも伝えきれなかったものがこれだけあるんだなって、

愛は美しいけど、やっぱり難しいんだなって、

そう思いました。

でもそれは、今までのあなたを否定することには決してならないと思います。

あなたがあなたらしく、いつまでも胸の中で生き続けられるように。

そう願う、精一杯のメッセージだったんだと思います。

そうならば、あなたがまいさんを愛していたのなら、

どこからだって、受け止めきれるはずだと、

そう思います。

 

僕は宗教も哲学もあまり分からないし、人に開帳できるほどのそれを持ち合わせていないのだけれど、

僕はあの空間を漂っていた感情が、穏やかなものだけじゃなかったということに気づいている。

色々な人が、色々なことを思い出して、考えて、そうやってあの席に座っていた。

頭を下げて同じ歌を歌っていようが、

あの場にいる人達はみんな、あなたと別々の関わり方を持っていたはずだし、

あなたに別々の感情を向けていたはずだし、

だから途中でホールの人が「色鮮やかな色彩を持って思い出され~」なんて言ってた時には、

そりゃここにいる全員があなたには別々の色に映っているだろうしなって、考えていた。

でもその感情を括ろうとしたら、それは全部愛なんだなって思ったら、

本当に涙が止まらなくなってしまって、

本当に、なんで死んじゃったんだろう。

なんで死んだんですか。

ひときわ面白い色をしていたはずのあなたが、あなただけがあそこにいなくて、

主役らしいって笑われるかもしれないけど、

岡崎さん。僕はもっと、あなたと色々な話がしたかったし、あなたのしている色が何によって作られたのかを深く知りたかった。

あなたがファインダーを通して見つけようとした愛を、実存を、お酒でも飲みながらもっとひけらかしてもらいたかった。

 

会食になっても、僕はしばらく何も口にできなかった。

まいさんが戻ってきて、ちらりとだけ席にいて、

でも何も話せなかった。

トイレに行って顔を洗って、

それから少しだけ料理をいただいた。

 

出棺の時間になった。

僕はここでやっと、亡くなったあとのあなたの顔を見た。

あぁ、岡崎さんだ。

岡崎さんが棺の中で寝ている。

本当だったらここで、なんだ今にも動き出しそうじゃないか、とか言うのかもしれない。

僕もそんなことを思うのかなって、電車の中で考えていた。

でも僕が覗き込んだ時、あなたは僕の知らない表情でそこにいた。

恥ずかしそうな笑みも、疲れてやつれてる姿もそこにはなくて、

ただ綺麗に澄ましたような顔で横たわっていて。

僕はもう、全く堪えられなかった。

もうあなたはこの世のものではなくなっていた。

分かっていたのに、その瞬間まで実感としてなかったんだということも、その瞬間に分かった。

理解して、悲しくなって、本当になんだかわからないまま涙ばかりが出て、

ロッカールームに引っ込んで泣いていたけれど、

外に出てきたら、まいさん泣いてるし。

数十秒前まで、私毎年母さんに花送ってるんだよねって言いながら持ってたカーネーションの切り花を、持ってる手ごと額に当てて泣いてるし。

またそれを見て涙が止まらなくなって。

実は今これを書きながら少し泣いてしまって中断していたんだけれど、

なんだかその場所はこの世のどこかっていうよりは、どっか遠くの世界との境にいたような感じで、

愛は見えないって言うけど、それは嘘だなって思いながら、

その空間の隅っこでタオルを顔にグシグシ当てていた。

 

棺が閉じられる寸前に、まいさんは封筒に入った手紙とカーネーションを、あなたの胸元に置いた。

その直前に、まいさんは少し愚痴をこぼしていた。

あの人は置いていったものが多すぎる、と。

封筒の中身について、僕が何かを言うのは無粋だと思う。

これは二人にしか分からないことで、それでいいんだと思う。

今頃あの手紙は、本人のもとへきちんと届いているだろうか。

きちんと読み返しているだろうか。

今度こそ、置いていかずにいてくれるだろうか。

もう、まいさんに寂しい思いをさせるようなことをしないで欲しい。

あなたがどれだけ愛されていたのか。あの人がどれだけあなたを愛していたのか。これからどこへ行っても、しっかりそれを忘れないでいてください。

僕の言うことじゃないけど。

僕はそこにいなかったけど。

お願いします。

 


 

出棺を見送ったら、周囲から國大生がほとんどいなくなっていた。

そういえば、火葬場にいくメンバーはもう決まってるって言われていたっけ。

僕はそのまま松本行きのバスに乗った。

数時間のうちに信じられないくらい泣いた。この時にはもうほとんど涙も枯れて、放心状態に近かった。

松本駅についた時は小雨が降っていた。

駅前で外国人旅行客が大勢雨宿りしていた。

渋谷でもよく見かける、あの光景と似ている。

もう葬儀場を囲んでいた黄金の稲穂はどこにもなく、四角い建物が広場の周りを囲うばかりだった。

僕はふらふらと改札を通った。

 

もう、ひとりの人間に向き合える時間は終わって、明日からは学業に仕事、社会そのものと向き合い直さなければならない。

でも僕のいる社会には、相変わらずひとりぶんの穴が空いているままだし、ずっと埋まる予定はないし、埋める気がない。

あなたが置いていったものは相変わらず多いし。

 

僕の気持ちは、今朝方書いたエントリの内容と大して変わっていない。

あなたの形をした穴はずっとこのままだし、あなたに持っていかれた僕の欠片を取り戻す術も知らない。

でも、残された僕たちは、また明日からの日々を行きていかなければいけない。

その中でまた多くのことを学ばされて、覚えさせられて、昔の記憶は押し出されていくのかもしれない。

だからせめて、今、僕の中にいるあなたの輪郭が、まだ綺麗なうちに、

こうやって、ここに記しておきます。

またお会いしましょう。

ありがとうございました。

 


 

主はわたしの牧者であって、

わたしには乏しいことがない。

主はわたしを緑の牧場に伏させ、

いこいのみぎわに伴われる。

主はわたしの魂をいきかえらせ、

み名のために

わたしを正しい道に導かれる。

たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、

わざわいを恐れません。

あなたがわたしと

共におられるからです。

 (詩篇 23篇より)