朝自慢

北朝鮮のアイドルと海産物について

絶望の隣に座っていました

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1

 僕に執着すべき過去なんてあるものか。

 思い出は思い出であって、そのために生きるなんて馬鹿げている。

 いろんな人が僕を置いて死んでいく。

 僕は死んでいく人たちを羨ましいと思う。

 生活から脱出することの叶った恵まれた人たちだと思う。

 ただ僕は、彼らのために生きようなんて綺麗なことは思えない。

 

 このブログのド頭に自殺した人間についてのエントリを2つ続けて投稿した。

 反響や同情を沢山いただいたけれど、僕はブログの中で必死に『岡崎さんへの憧れ』を隠していた。

 僕より生まれが数ヶ月遅かったのに、僕の行きたい場所に僕よりうんと先に行ってしまった。

 その位置から見る景色は気持ちのいいものですか?

 今更何も聞けないのが残念でなりません。

 

 死にたいなんて軽く言うもんじゃないけど、死にたいと思ったならきちんと言って欲しいと思う。

 たとえ言った人が軽く思っていようが、僕はあれこれ考える。本当にあれこれ考える。

 その人に自死欲を掻き立てさせるほどの強烈な何かがあったのだろうか?

 それは言葉なのか境遇なのか?

 何をアンチテーゼとして立ててやれば自死欲を潰えさせることができるのか?

 

 世の中に死んで欲しい人間なんていない。

 ムカつく政治家だろうが、生きて罪を償えと思う。

 ただ、誰かが死にたいと言った時、僕はそれを止めることはできない。

 その人にとって自死自己実現の為の手段であって、それを妨害できるほど僕は高尚な人間ではないからだ。

 でももし、その原因が不当に救われないことにあるのなら、僕は救ってやりたい。

 そのために言葉を考える。

 心が血を吐こうが、鮮烈な救済欲に突き動かされた僕は僕を省みることを億劫に思いだすだろう。

 僕は僕が嫌いだから、僕を犠牲にして誰かが救われるのなら、喜んで傷つこう、アンパンマンのような自己犠牲でもって人と接してみよう、と思っている。(あれは厳密には自己犠牲ではないけれど)

 

 で。

 僕はあれこれ考えるけれど、手段のところでは結局言葉でしか人を救うことができないので、その言葉を折られると何をすることもできない。

 そんな場面がついに訪れてしまった。

 

 

 


2

 僕は職場にいる人間を片っ端から尊敬することにしている。

 している、というか、尊敬できる人しか職場にはいない。

 SNSの匠、企画の鬼、フッ軽おにいさん、サービスの生き字引、バイトから内定をもぎ取った猛者、そして全てを束ねる課長。

 部署の違う人たちでも、一緒に仕事したことのある人たちはみんな有能だった。

 その中でも、特に僕が尊敬してやまない人がいる。

 

 その人はMさんという。

 彼は僕のいる企画チームの中で、一番プログラムを解する人だ。

 エンジニアチームとの間で橋渡しをしたり、企画チームの中で使うツールを内製したり、部署で扱う膨大な情報の分析をしたり、情報処理に関する基礎的なプログラミングについて社内で講座を持ったりしたりしていた。

 

 彼は僕の入社した二週間後にやってきた。

 一緒に採用された同期として、年は4歳も離れているけれど一緒に色々なことをやってきた。

 Mさんにはしてあげられたことよりも助けてもらったことのほうが多い。

 どんな仕事でも嫌な顔をしないで引き受けてくれるし、僕がプライベートのことで困っていた時も相談に乗ってくれた。

 僕に彼女が出来たときは一緒になって喜んでくれた。

 会社の忘年会からの帰り道、振られることになるデートの段取りを一緒に考えてくれた。

 振られたことを伝えた時は、奢ると言って飲みに誘ってくれた・・・。

 

 Mさんは正社員になりたくてこのアルバイトに応募してきた。

 実際、部署からはアルバイトで入って正社員への道を開いた人もいた。

 詳細は割愛するけれど、Mさんは正社員になるための具体的な行動を起こしていた。

 書類審査、一次面接、二次面接を通過し、最終面接を明日に控えた3月のある日に、僕と一緒にうんと上の上司に呼び出された。

 

 そして僕らは揃って、解雇を告げられた。

 

 

 


3

「明日どういうメンタルで面接に臨めばいいんですかね」

 開口一番、Mさんは困惑したように漏らした。

 僕らの他にもう2人いたアルバイトにも解雇が言い渡され、僕らは一斉に求職を始めなければいけなくなってしまったが、そんなことも言っていられない。

「Mさんなら大丈夫!」

「ここまで順調にクリアしてきたんだから!」

「最終面接なんて、ほとんど内定貰ったようなものだし!」

「きっと僕らの解雇は、Mさんを正社員にするための伏線みたいなもんなんすよ!」

 口々に無責任なことを言った。

 僕らは慰める風に必死に口を動かしていたが、まさかMさんの前方に撒き菱を撒いていただなんてちっとも思っていなかった。

 

 あとで聞いた話だと、どうやら会社の経営悪化によって、その時社内にいたほとんどのアルバイトをクビにせざるを得なくなっていたらしい。

 僕たちの能力不足ではなかったのだ。そもそも僕たちのチームは(僕はともかくとして)多くの成果を挙げていた。全然違うところにあったただひとつの部署が判断を誤り、会社に大きな損失を出させたことによって、歯車が大きく狂ってしまったらしい。

 実験的なサービスを多く抱えている会社だから、ある程度のリスクは仕方のないことだ。しかし危機が発覚した時に社長が言っていた「雇用は守ります」の一言が、僕たちアルバイトに向けられたものではなかったという事実が、僕を大いに落胆させた。

 

 だからMさんを社員で雇うだけの余力が、急に会社から無くなってしまったのかもしれない。

 Mさんに不採用通知がもたらされてから、僕らは口々に「上のせいだ」「Mさんは悪くない」「時期が悪かった」と言った。

 Mさんは力なく「うん、うん・・・」と言うばかりだった。

 僕がその姿を見てどれほど苦しかったか!

 Mさんが多くのことを頑張っていることをすぐ傍で見ていた。努力に対してリターンが明らかに見合っていない人だと思っていた。

 この会社に入るためにホテルマンをしながらプログラミングを学び、薄給にもめげずに多くのものを作り出してきたというのに、会社は会社の都合で、その努力に報いることをやめた。

 彼を誰が救えるというのか。

 誰なら彼に報いることができるというのか。

 僕が今まで、悪意のない相手をこれだけ恨んだことがあったろうか。

 そして彼もそうであったかは・・・僕には分からない。

 

 

 


4

 Mさんは気が抜けてしまっているように見えた。

 この会社に入る為に努力をしてきた人だった。

 手は尽くしただろう。

 それでダメだった。

 それなら彼は、何を考えればいいのだろう?

 

 僕には分からなかった。

 だから気が抜けてしまっているように見えたMさんに、何を提案することもできなかった。

 いっとき気晴らしをしたところで、あとに背負う苦しみをいたずらに増やすだけにしかならないことは、僕にもよく分かっていた。

 食事に誘ってみたが、彼は気乗りしないようだった。

 解雇を告げられたあとも、Mさんは律儀に変わらず仕事をこなしていた。

 ただある時、パソコンに処理をさせて手が空いているMさんが、僕の机まで来て一言

「・・・やる気出ねえ」

 と言った。

 

 退勤して、メトロのホームで電車を待つ間、急にこの台詞を思い出して、僕は背筋が凍る思いをした。

 Mさんは何に対してやる気を失ったのだろうか?

 仕事に対する情熱か?

 将来に対する不安の言い換えなのか?

 それとも、自分の今までの努力が否定された無力感からくるものなのか?

 だとしたら彼がやる気を喪ったものとは、生きることそのものではないのか?

 

 僕がこの後何をして、彼にどういうふうに声をかけたかを、僕はよく覚えていない。

 自分の抱えていた案件でヒーヒー言っていたし、僕も将来について多くの不安を抱えていたからだ(正直に書いてしまうと、僕もこのまま社員登用を目指すつもりだった)

 でも、僕がいくつかかけた言葉のどれもが、Mさんには響かなかったようだったことだけは覚えている。

 Mさんはたびたび僕に連絡をしてくれた。

 実はこの文章を打っている日の朝だって、電話をかけてくれた。

 寂しい、と言っていた。

 彼が感じる寂しさは、社会からの隔絶を感じてのものなのだろうか。

 彼に孤独を感じさせるのは、一体誰のせいなのか。

 そんなの、やっぱり僕には分からない。

 

 

 


5

 先週、僕たちの仕事の、ひとつ集大成のようなイベントがあった。

 今ここでその内容に触れることはやめておこうと思う。

 4月の僕らは専らその準備で追われていた。

 僕が自分の仕事でミスをしてしまったのもあって、上司には迷惑をかけてしまった。

 この間、Mさんとシフトが被ることがほとんどなかった。

 シフトとはいっても、仕事は自分でしたいものを取ってきてする感じだし、だから来たい時にきて働きたいだけ働けばいいのだけれど、それでも大学との兼ね合いがあって、僕が来られる日はかなり限られてしまった。その期間、Mさんも忙しかったのか、僕と顔を合わせることはほとんどなかった。

 だから久々にMさんに会った時は、顔つきが変わっていることにすぐに気付いた。

 見るからにやつれていた。

 

 すっごい急に話を変えるけど、僕はイベントに前後して、King Gnuの「白日」を狂ったように聴いていた。

 まず音がいい。鳴ってる音がどれも粒立っていて気持ちいい。特にワウっぽいギターとエレピの感じがエモい。何回でもリピート再生できる。

 で、井口理の声がいい。最初の囁くような声もいいし、サビの力強い声も、ファルセットに行ったり戻ったりする声も好きだ。おまけにツイッターまで面白いんだからこんなにズルい人はいない(歌には関係ないけど)

 あとは、歌詞。

 この歌詞を聴いた時は「なんてすごい人たちなんだろうな~すげえや」くらいでノリノリになって聴いていたのに、曲の良さからループ再生していくにつれて、僕は取り憑かれたように歌詞に引き込まれていった。

 だんだん、僕とMさんのことを歌っているようにしか思えなくなってきた。

  

 イベント前日、やつれた様子のMさんに、どのタイミングでこの曲を勧めたもんかと企んでいた。

 結果を言えば未だに勧められていないし、勧めるべきでもなかったんだろうけど、ともかく僕はMさんと2人きりで話せる時間が現れるのを待ちながら仕事をしていた。

 

 夜も遅くなって、僕らのチームは他のチームが作っているものの見学をしに行った。

 ステージがあって、その前に並べられた椅子に座って、準備が整うのを待っていた。

 僕はMさんの隣に座った。

 周囲では誰かしらが誰かしらにせわしなく仕事の話をしている。

 今切り出すようなものでもないかと観念して、Mさんと並んでスマホを弄っていた。あとは、明日の天気がどうとか、服装がどうとかの他愛もない話と、今日明日どうせ忙しくて帰れないから一緒にホテルに泊まろうか、って話とを断続的にしていた。

 そこに、新入社員の集団が、10人くらいでゾロゾロと入ってきた。

 周囲の大人が結構歳の行っている人ばかりだったから、新入社員たちは余計に浮いて見えた。まるで大学生の集団みたいで、その男女半々の集団は遠目からでもかなりはしゃいでいるようだった。

 僕はスマホに意識を預けながら目を細めて見ていたのだけど、ふいに集団がこちらに手を振ってきた。僕らのチームの中に新入社員の人がいて、彼があの集団に名前を呼ばれて、おーいとか答えながら向こうに駆け寄っていった。

 

「浅島さん」

 ふいに名前を呼ばれた。

 顔を向けると、少し泣きそうな顔をしたMさんがそこにいた。

「浅島さん」

 また名前を呼ばれた。

 口角を上げて、

 無理やり微笑もうとしているような、

 Mさんの、

 目。

 何も、どこも見ていないような目。

 黒々と見開いた目。

 僕の向こう側を見通すような目。

 そこにいないような目。

 僕を見ているようで何も見ていない目。

 作り物みたいな目。

 

 不気味の谷を超えられなかったような表情のまま

「浅島さん・・・」

 僕は何も言い出せず

「きついです、無理です・・・」

 体重を預けられるままになった。

「何も言わないでいいですからね・・・」

 まるでそんな目をしている本人でさえ、自分が今何を思い、どうなっているのかをよく分かっていないようだった。

 僕はMさんのことを知っているようで何も知らなかった。

 Mさんの中に渦巻いている黒さの、ほんの一片を垣間見ただけなのに、それがどんな質感なのか、どれくらいの大きさで、どれくらいの距離にあるのか、全く掴めなかった。

 その感情は砂のように僕の手を流れていって、指の隙間から綺麗に落ちていってしまった。

 僕にかけられる言葉は何もなかった。

「すみません、無理・・・」

 Mさんの表情筋はますます泣きそうになって、そこで止まった。

 機材調整で流されるSEが、新入社員の嬌声を遮るように爆音で鳴っていた。

 

 あなたは絶望の隣に座ったことがあるか。

 底の見通せない、深い深い落胆の深淵を覗いたことがあるか。

 僕は確かにあの時、絶望の隣に座っていた。

 絶望を前にして、僕の言葉は何の力も持たなかった。

 ただただ、無力だった。

 

 

 


6

 Mさんが僕と一緒に泊まるホテルを予約してくれた。

 ふたりとも、仕事が忙しくてとても家に帰る余裕などなかった。

 僕はお客さんと懇親会があったので、二時間遅くホテルに着いた。

 Mさんは映画を観ながら夕飯を食べていた。

 シャワーから上がると「余ったから」とネギトロ巻きをくださった。

 落ち着いてから電気を消して横になると、Mさんは少しだけ僕に話しかけてくれた。

 最近ずっと眠れないこと。

 体調を崩して薬をたくさん飲んでいること。

 次の仕事が決まらないこと。

 将来が不安なこと。

 今の会社に思うこと。

 

 僕も一言二言意見を言ったけど、次の日も早かったのですぐに寝た。

 翌日も仕事をして、帰りの電車も一緒になった。

 僕はウトウトしていたし、お互い疲れていたのでそのまま新宿駅で別れた。

 

 

 

 僕は僕のすることにますます確証が持てなくなった。

 僕は彼に何と言えば良かったのか。

 何を思えばよかったのか。

 同情することは簡単だが、僕はその先のことに何の責任も持てない。

 力になれることは何もなかった。

 あの、椅子に座って待っていた時、僕は肩と膝を貸すことしかできなかった。

 あれでよかったとは思えないけど、あれ以外に出来たこともなかったように思う。

 人を励ますということは、とかく無責任に陥りがちだ。

 僕はこれから先、慰めた相手から拒絶されることもあるだろう。

 それは仕方のないことだ。人が孤独を必要とすることはある。

 でもあの時、彼は孤独を何よりも怖がっていたように思う。

 社会・・・とまではいかなくとも、その時を生きる目的にしていたものから拒絶され、彼はひとりぼっちだった。

 それなのに、あの時誰よりも近くにいたのに、僕はかける言葉を持っていなかった。

 

 僕は自分が嫌いだ。

 とっとと死ねばいいと思っている。

 誰かの助けになることでしか、自分の存在価値を見いだせない。

 僕が死ぬと困る人がいるらしいので、なんとなく生きている。

 誰かを救えるかもしれないから、法律なんてやっている。

 

 それなのに、僕の言葉が、何の役にも立たない時が来たら?

 僕の言葉が満足な力を失い、誰の慰めにもならなくなるとしたら?

 次の出勤日に会うかもしれないMさんが、末期の瞳をして僕の前に現れ、僕に、誰かに、呪詛を唱えたとしたら?

 Mさんだけじゃない、誰かが、誰か僕の大切な人が、絶望し、悲嘆に暮れ、次の朝日に打ち震えている瞬間に僕が立ち会い、その人を深淵から引っ張り上げる術を何も持たず、覗き込んだままでただただ見ていることしかできないとしたら?

 それでも僕は生きる理由を持てるのか?

 

 多分、そういう日はそう遠くなく訪れると思う。

 せめて自暴自棄にならず、すっかり綺麗に死ぬことができるように、ちょっとは準備をしておいたほうがいいのかもしれないな、と、思った。