朝自慢

北朝鮮のアイドルと海産物について

後ろめたさを追い越して

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 香川で働いている友人がいる。

 

 同じ高校を出たあと、彼は専門学校に入り、僕は浪人をした。

 僕の浪人が決まったあと、ふたりで飯田線に乗りに行った。

 八王子で落ち合って、そこから中央線で岡谷まで行って乗り換え、下島で途中下車、かんてんぱぱの工場見学をしたあと乗車、再び駒ヶ根で途中下車、ソースカツ丼を食して乗車、豊橋で乗り換え、浜松で乗り換え時間に吉牛を購入、食べながら熱海→横浜で解散。始発が終電なのでどこか一箇所でもミスったり、一箇所でも遅延したりしたらdead end確定。ハラハラドキドキの限界18切符旅だった。

 

 僕の進学が決まったあと、ふたりで飯山線に乗りに行った。

 横浜駅から東海道線高崎線と乗り継いで、そこから上越線で水上へ。乗り換えて北上、新潟まで出てから、越後川口で乗り換え。長野を北側から侵入、雪山の中を縦断。長野駅で蕎麦をすすり、お土産を購入。篠ノ井線で松本まで出て、そこから中央線で塩尻甲府、大月と至り、八王子で解散。長野駅がクッションになっていたものの、初っ端から早朝の首都圏を走ったわけで、このどこかで遅延していたら成功が危ぶまれる綱渡りだった。

 

 彼は鉄道会社を片っ端から受けた。内定が出たのはJR四国のみだった。高松へ赴く友人を労うため、僕は彼と食事にでかけた。

「なあに、今生の別れじゃあるまいし、大洗であんこう祭りをやる頃には戻ってくるから」

 モグモグと肉を喰らう彼は、来るうどん天国への赴任に胸をときめかせているようだった。

 彼とはそれから連絡を取っていない。

 

 

 会社の飲み会で、香川出身の上司に彼の話をした。

 はっきり覚えていないけど「そこまでいいところではないよ」くらいの話をしていたのを覚えている。

 上司は東京の大学を出てから、東京の中で色々な会社を転々としていた。そしてまた、僕が退職したあとに、別の会社への転職が決まった。僕はTwitterで祝福のメッセージを送った。キャリアアップにつながる、素晴らしい転職だと思った。

 上司もまた、焼き肉が好きだった。そしてハイボールをよく飲んだ。

 会社の忘年会でお酒が振る舞われた。大きい箱を借りて千人くらいの社員が一同に会す大規模なイベントだった。会社の成金趣味なのか、神宮球場からピールの売り子が三人来て、おっさん社員にビールサーバーでお酌して回っていた。

 二次元を扱う会社だったし女性社員もたくさんいた。性に関することを社として発表するときはものすごく敏感だった。表現で誰も傷つけない、ということを徹底して実践している出版社だった。

 だからこそ、若い売り子にデレデレになってビールを飲まされている社員の姿が、どこか異常に見えてしまった。生き物として、何歳になっても若い女性にメロメロになるのは正しいことだとは頭ではわかっているのだけど、こういう催しでそういう性的なものに需要があると見越して派遣を要請した忘年会チームに、僕は疑問を持った。身内のイベントから統率していかないと、いつか現場でもボロが出るんじゃないか、と。

 実際、ちょくちょくボロは出ていた。ネットでボロクソに書かれたりもした。社内の人間はリベラルに寄っているのに、社外からは右寄りの会社だと言われたりした。所作の端々から嫌らしさが出ていたのかもしれない。

 かくいう当該の上司は、プールに浮かべられた氷と缶ビールの中から、ハイボールだけを選って飲んでいた。奥さんがいるらしいが、奥さんの話は聞いたことがない。他の上司は奥さんの話をしまくるのに不思議だな、でもあの人達と違って、売り子やコンパニオンには全然目が行かないんだ。ちょっと頼もしく見えていた。

 

 高校の時、彼女と同棲しているやつがいた。

 僕のバンドでギターボーカルをしていたそいつは、生徒会長もしていた。

 家は大金持ちだったが、両親ともに家におらず、誰もまともに構ってくれていなかった。そこで彼女と一緒に邸宅に住んで、夫婦さながらの生活をしながら別々の高校に通っていた。

 そいつが卒業式の前日に結婚した。

 指輪をはめて、戸籍と違う従来の名字で答辞を読み上げ、拍手の中で堂々壇上から降りた。頼もしい生徒会長だった。

 終わった後に「俺本当は名字変わったからさ、これ嘘なんだよね」といたずらっぽく笑っていた。それがしたかったから結婚したのか、高校生のうちに結婚しておきたかったのかは分からないけれど、彼は今、大学に通いながら働いて所帯を切り盛りしている。

 

 まいさんと松本に遊びに行ってから半年が過ぎた。

 岡崎さんが出るはずだった成人式に、代理のつもりで遊びに行った。

 岡崎さんの同級生たちが晴れ着を着てはしゃいでいた。

 まいさん伝いに色々な人と挨拶をした。話もした。

 どうやらあそこにいる人の結構な割合が、東京に出て学校に通っていたり、東京で仕事を求めていたりするようだった。東京で働いて、地元に転職してきたような人もいた。

 東京は便利だ、欲しいものが欲しい時に手に入る。そんな話を誰かがしていたような気がする。

 僕の欲しいものって東京にいてもだいたい手に入らないのにな、と思ったけど、それはひととおりのものが東京で手に入っているからこそ、それでも手に入らなかったものが強調されて感じるだけで、本当は相当恵まれているのだな、とあとになって思った。

 まいさんと山の中にあるケーキやさんに行ってケーキを買い、信毎の本社ビルの中にあるオシャンティーなレストランで肉料理を食べ、お酒を飲んだ。

 あの時まいさんが僕にしてくれたことのお礼が、まだぜんぜん出来ていないままでいる。

 

 僕のいとこから結婚式の招待状が届いた。

 僕と同い年だったはずだ。まさか、そんな。

 田舎の人間は結婚が早い。高校出るか出ないかで結婚して、妊娠して、子育てを始める、こういう人が結構いる。

 多くが真っ当に生活をしている。早いうちから子供を作れという空気は、田舎に独特の閉塞感をもたらしている。

 僕は子供なんか要らないし、性欲が嫌いだからなるべく結婚もしたくない。そもそも女性を性的な目で見たくない。同じ人間としてフェアな存在で見たい。けれども田舎の人間は、あの人は綺麗、この人はダメ、とか、顔や身体で選り好みをする。このルッキズム地獄を現出させているのは多くの場合年を食った女性だ。田舎はお節介焼きのおばさんで満たされている。

 逃げていたらこんな横浜くんだりまで出てきてしまった。でも田舎で敷かれたレールに乗っていれば、人間としての尊厳ある最低限度の生活は保障されていたのだ。それなりに働けばそれなりの地位にいられるし、セックスに疑いを持つこともなかっただろう。でもそんな自分はどうしても想像できない。僕がパッケージの幸せを得る分、どこかの知らない男がパッケージの幸せからあぶれるのだろうと思うと、排斥されるのが僕でよかったという気さえする。

 

 人間は誠実を食えない。

 正しい生き方を探すけれども、正しい生き方は僕を幸せにしない。

 でも僕は、かくありたいという人間像を追っかけて生活を潰している。

 ここ数日、母さんが「早く次の仕事を探せ、働け、稼げ、そしてまた家に金を入れろ、学費を払い続けろ」と急かし続けている。

 僕は前の会社を辞めたあと、ずっと勉強ばかりをしている。家にお金を入れなくなったから、どうもずっと母さんの機嫌が悪い。

 

 学生の本分は勉強だという。

 でも、21の人間が、田舎に帰れば同級生が働きながら子育てをし、都会にいたって既に働き口を見つけたり探したりしている合間を縫って、勉強を続ける、というのは見栄えが悪く、情けない。

 いつまでも子供でいたいと思っているような印象を一定の人に与えると思う。

 僕らの周りには、21になっても学生でいることに特に疑問を持たない人がいっぱいいるように思う。

 こういう稀有な環境に身を投じて安静に勉強ができているが、これは稀有なだけで決してありふれているものではない、ということは逐一確認しないといけない。

 

 田舎のレールに乗っかって生活をしたところで、僕がするならじきに破綻するだろうなということは漠然と思っている。

 僕は色々と病気を持っているし、健常者が当たり前にこなす多くのことで支障が出る。

 田舎は画一的な人間を好む。テンプレから外れた人間に優しくない。

 都会も決してそういう人間に優しいわけではないけど、ただ、ほっといてくれる。

 ほっといてくれるだけでいい。

 それで僕はずいぶんと居心地がいい。

 僕はまだまだ勉強がしたい。

 色々なことを知りたい。

 そして色々な人の、色々な生き方に触れて、僕自身をアップデートしていきたい。

 どこに自分の生き方の最適解があるのかを解き明かしたい。

 弁論だって、そのひとつの手段のつもりでやっている。

 

 僕は、はたからみれば踏み外している人間に見えるかもしれないけど、僕自身は踏み出しているつもりだ。ウダウダ言っても新しいものは得られない。

 今よりもいい世界を希求するのなら、今とは違う環境に身を投じないといけない。ここにいれば安全に過ごせる、という環境に浸ることは、結局自分を腐らせて資産価値を下げることになりかねない。

 でも、そういう場所を離れることのリスクは大きい。自分を追い込むだけでなく、自分が帰れる場所を作っておくことも重要なことに思う。

 

 ここ数ヶ月の間に、環境をガラッと変える人が何人かいた。

 まだ成功とか失敗とか見えてこないけれど、少なくとも【環境を変えた経験】は、将来また環境を変える時に実績として役に立つと思う。

 環境を大失敗したところで、やりようによってはリカバリが利くのが大学生だ。

 僕たちは恵まれた場所にいる。

 古い忠告を棄て、良心からくる助言を撥ね退け、後ろめたさの呪いを振りほどき、時代を追い越していく。多分「僕らの時代」なんてものがあるとしたら、きっとそれは簡単に辿り着けるものではない。

 でもいくらトリッキーな人間になろうとも、人間としての基礎的な力や信念、情熱が内包されていないと人はついてきてくれない。学生という身分は勉強を通してやっと身に染み付くものだと思う。

 

 香川に行った友人が「JR四国がどうかはともかく、香川に行くことはなんとも思ってない。大丈夫でしょ!」と言っていたのを覚えている。

 環境の価値は結局自分の評価でしか決まらないのだから、それを他人がとやかく言うのは間違っているのかもしれない。

 田舎へ逆行するようなキャリアを進もうとする彼もまた、夢や目標のために後ろめたさを越え、あるべきところへ向かおうとしたのだろう。

 情熱があれば、多少の阻むものは追い越すことができるらしい。僕も邪念を振り払い、加速できる人間になりたい。