朝自慢

北朝鮮のアイドルと海産物について

音が鳴る(本番原稿+注釈)

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これは騒音計だ。ブリオンでもオプーナでもない。

以下の内容は、第39回 東京大学総長杯争奪全国学生弁論大会 に登壇した本ブログ管理人が、本番で用いた原稿に注釈を加えたものです。

詳細な解説や弁論こぼれ話は別途記事を立てます。何卒。

パンフレット用論旨

 私達の生活は「音」に包囲されている。都市の雑踏の中には様々な広告が隠れている。人目につくことを第一義とする広告は、時には競い合うように派手さを増していき、至るところで騒音公害を引き起こす。

 世界でも随一の市場規模を誇る日本の広告業界では、騒音を取り締まる行政と、規制をかい潜る業者のいたちごっこが続いている。しかし、騒音公害の原因は民間事業者のものだけではない――。

 本弁論では、私達を取り巻く広告の現況と負の側面を分析し、なぜ騒音公害を引き起こしかねない手法が繰り返し用いられるのかを論証していく。

 人間は受動的に浴びる音をしばしば選べない。科学技術の進歩によって登場した音響機器の数々に、人々の平穏が侵され始めて数十年が経った。「音」に溢れたこの時代に、私達はどう抗えばよいのか。今ここに「音を聞かない自由」の是非を問う。 

 


 

導入

1.掴み

<『期待する~』から二拍>

 

 東京 ちょっと前は江戸

 東京 ちょっと後は謎

 東京 今は溢れる人

 行き交う人 もの エゴ 右往左往

 

 音楽ユニットクチロロの曲、東京。

 私たちが生活する中で出会う沢山の音を、抽象化させて、7分に落とし込んでいる。 

 

 

 私はこの曲が好きだ。出てくる音声や効果音は全部架空のものなのに、確かに私を取り巻く日常の音の数々を切り抜いているように感じる。それは多分、東京にいて耳にするたくさんの音が、ある程度パターンにはめられるものであるからだろう。

 

 東京は雑多な場所だ。

 ヒトが沢山いる。

 建物はどこまでも高い。

 やたら広いホール。

 何車線もある道路。

 満員電車の三分後に、またやってくる満員電車。

 私の地元とは比べ物にならないほどの速度で世界はまわり、人々はせわしなく生活している。

 

 日本の都会はやかましい。視覚的にも聴覚的にもノイズが激しい。

 しかしそのノイズとて、なんとなしに生まれているわけではない。

 街のネオンやサイネージ。

 路上のスピーカーから鳴る音楽。

 車や電車の音。

 客引きの声の後ろから聞こえる「客引きについていくな」の注意喚起。

 そのどれもに意図がある。

 光らせ、音を鳴らすために、人が動き、お金が動く。

※弁士注

東京は雑多な場所だ~」は俯瞰的な情景を並べ、「日本の都会はやかましい~」は主観的な情景で固めた。

まず「ヒトがたくさんいる」で共通の認識を呈示した。その後の
「建物」は外から見ていて
「ホール」は中から見ていて
「道路」は隣で距離をとって見ていて
「満員電車」は隣で実感を持って見ている。
こうして徐々に話題が「自分」に近づいていく体裁を取った。

「ネオンやサイネージ」以降は、主体的になって動く自身の眼を通した観察の感想であり、即ち実感である。先程の近づいていく過程と同じ分量をかけて、聴衆との距離を一気に詰めることを意図した。

 

2.テーマの前提

 日本で広告のために動くお金は、世界のそれと比べて多い傾向にある。

 電通が発表した2018年度の年間総広告費調査によると、ひとりあたりの広告費は北米で約397ドル、西欧で約300ドル。それに対して日本は約501ドルと突出している。

 

 日本はまさに広告大国であるわけだが、街を溢れる広告のうち、どれだけのものが適正に出稿されたものなのだろうか。

 広告は人目を引かなければいけない。道行く人に注意を向けられ、意識され、記憶に残ることで広告として成立する。だから広告は「うるさく」なりがちだ。ともすれば、うるさくない広告は意味のないものになってしまう。

 そしてその評価は相対的なものだ。よくできた広告でも、隣によりうるさい広告あらば、その存在感は薄くなってしまう。だからうるささを競い合う。

 混ざり合った音はやがて意味を失い、ノイズと化していく。そして広告が放つ光は、私たちの生活に、暗い影を落とすことになる。

※弁士注

 ここの声調には苦労した。「広告が放つ光」と「落とされた暗い影」を対比させるために、~光までは明るくハキハキと、それでいて単調に読み上げて油断を誘い、私たちの生活にで若干不穏な曇らせ方をして、暗い影~で一気にトーンダウンする。聴衆に「不都合な現実」の話しが始まることを示して、集中力を入れ直すことを促すことを目指した。

 急に声色を変えると滑舌が追いつかず、聞き取りづらくなる。これは弁士の発声によるものよりも、聴衆側が継続している弁論を根拠に「明るい口調」に耳をチューニングさせていることに起因する。そのため弁士はここで、トーンダウンした口調にチューニングされていない耳にも正しく音が入るよう、こちら側で発声を強調しなければいけない。

 アプローチの仕方は様々にあるだろうが、今回は特に子音を強調する読み方に拘った。その後に控える【主題Ⅰ】は、意図して聴衆に同意・同情させなければいけないものであるから、その接続を取る次の章段へのスムーズな引き渡しのために、当該フレーズは非常に重要であった。

 映画「崖の上のポニョ」製作時に、宮崎駿監督は、たった3秒のシーンのために膨大なリテイクを出し、1ヶ月程度を費やしたという話しを聞いたことがある。その後の内容を「生かす」ためにも、ここは理不尽なまでの拘りを以って当たらなければいけないと覚悟していた。

 

3.接続

 若者文化の中心地と名高い渋谷。そのシンボルとして有名なスクランブル交差点。

 私の通う國學院大學からほど近いこの場所では、日夜、巨大な騒音が発生している。

 交差点を囲むように設置された、六枚の巨大デジタルサイネージ。そこに映る映像に合わせて大音量で鳴らされる音楽や音声は、渋谷という街の入り口を異様な空間に演出することに一役買っている。東急電鉄毎日新聞などが管理しているこれらの看板は、しばしば騒音問題論議の俎上に挙げられる。

 しかし私が問題にしたいのはこれではない。

 騒音サイネージは日本中にあるが、その場所を離れればよいのだし、もし離れられないのなら条例に基づいて訴訟を起こしたり、政治に働きかけるなど、解決させる手段はある。(半拍)

 問題はこのサイネージの下!

 道路を悠々と占拠し、至近距離から爆音を吹きかけ、その内容も猥雑で下劣なものが様々にある、アドトラックだ。

※弁士注

本弁論の中でもひときわ強い言葉を使っているが、これは弁士の私怨によるものである。

「問題はこの~様々にある」で一気にボルテージを上げていき、少し溜めてから「アドトラックだ」で急にトーンを下げる。これは本弁論で取り上げる主たる問題(のひとつ)をあからさまに示すというだけでなく、ここから数十秒間で読み上げる説明口調の文章に無理やり慣らさせる意図があった。読み方にメリハリをつけるだけでなく、ここからしばらくの(弁士がオススメする)聴衆態度を先行してお知らせすることで、聴衆が「考えながら聞」かなくとも、本弁論の粗方の内容が理解ができるよう細工を仕込んだ。

 

 

主題Ⅰ:アドトラック問題

1.概観

 アドトラック、または広告宣伝車とは、トラックの荷台に巨大な広告を掲げて運行し、道行く人々に商品やサービスの宣伝をする自動車のことである。ゲームソフト、テレビ番組、CDリリースなど、様々な商品やサービスの宣伝に使われる。

 しかし特に利用が多いのは、広告看板の引き受けを断られやすいサービス、風俗の斡旋などの所謂【高額求人系の広告】だ。

 

 ここにいる皆さんも見たことがあるはずだ。

 新宿で「バーニラッバニラバーニラ求人

 

 池袋で「急募急募求人キュウボー

 

 横浜で「イッチッゴーナビ バイトバイト

 

 そして渋谷のスクランブル交差点では、これらのアドトラックがひっきりなしに走っている。

 昨日の午後なんて30分観察している間に24台も通過していったのだ。そしてその1/4が、風俗求人のものであった。平日の昼間に観察した時でも、30分ほど見張っている間に6台のアドトラックが通過していった。この時はその半数が風俗求人のものだった。

 これらのアドトラックは、とにかく目立つために、大音量でテーマソングを垂れ流すことが多い。騒音計で計測した結果、アドトラックが走っていない時の交差点が65dbなのに対し、アドトラック侵入時には82dbまで跳ね上がった。渋谷駅脇の高架下ですら78dbなのにである。

 ちなみにこの原稿を書いている教室で28db、一般的な掃除機のモーター音でも60dbである。

※弁士注

以下が12月14日(土)の計測結果です。

17:45 2台
17:48 0 <65db min>
17:55 1
17:56 3
17:58 5 <80db>
18:00 2
18:03 1
18:05 1
18:07 1
18:08 2
18:11 2 <82db max>
18:13 1
18:14 3 <82db>

風俗求人内訳:いちごなび3、風俗ショコラ2、判別不明1

  

2.現状の対策と問題点

 この問題、明らかにどうにかしないといけない。

 これは行政も問題を認識していて、被害が深刻な東京都では2011年、屋外広告物条例施行規則を改正して、公益社団法人東京屋外広告協会が実施する審査をパスしないと、都内でアドトラックが運行できないようにした。

 この審査基準には、デザインや内容が公序良俗に適うかどうかの他、騒音規制の遵守なども盛り込まれている。これによって、悪質性の高いアドトラックを都内から一掃できることが期待された。

※弁士注

圧縮前に記述していた「表現に関する三要件」を列挙する。

  1. 年齢、性別に係らず人々に不快感を与えないデザインとすること
  2. 広告の表示内容が公序良俗に反しないこと
  3. 児童及び青少年保護の観点から適切な内容とすること

元々別の政策に落ち着く弁論で検討していた時の名残だが、まあそれだけ弁士が風俗アドトラに対して怨嗟に近い感情を抱いていたということだ。

 

 しかしこの条例には抜け穴があった!

 この条例で縛れるのは東京都に車両登録されたトラックのみで、他県のナンバーをつけたトラックは規制できないのだ!

 実際、スクランブル交差点にやってきた多くのアドトラックは、横浜ナンバーや習志野ナンバー、所沢ナンバーなど他県のものだった。都の条例の及ばない、都外の業者によって条例は有名無実のものとされてしまったのだ。

 

3.政策

 この状態は、断じて看過することができない!

 この問題を解決するために、私はまずひとつの政策を提案したい。それは東京都の条例をベースに騒音規制を法制化し、日本全国で統一して施行することだ。

 同様の問題は、大阪、名古屋、札幌、博多など、日本中の繁華街で起きている。これから東京五輪もある。大都市圏では世界的なイベントが数多く計画されている。この問題は、日本に暮らす誰にとっても無関係ではないはずだ。

 

 

<インターバル:野次が止んでから二拍>

 

 

主題Ⅱ:選挙カー問題

1.概観

 騒音を撒き散らすのはアドトラックだけではない。私たちの生活のすぐそばで、より昔から騒音を撒き散らしている広告車両がある。選挙カーだ。

 公職選挙法第141条の3、選挙運動のために使用される自動車の上においては、選挙運動をすることができない。ただし、自動車の上において選挙運動のための 連呼行為 をすることは、この限りでない(一拍)

 選挙期間になると、この規定に基づいて、選挙カーから名前を連呼しながら市街地を走る候補者が出てくる。

 全国の自治体には大抵、拡声機暴騒音規制条例というものがある。これはアドトラック街宣車などを街中で運転する際に、スピーカーから出していい音量を規制するもので、例えば東京都では最高で75dbまでと定められている。

 がしかし、ほとんどの条例には例外規定があり、選挙活動にかかわる拡声器使用は規制対象から外されている。

 

2.聴衆合意形成への誘導

 選挙カーアドトラックと違い、人の住んでいるところにまで入り込む。

 平日の昼間に、突如として押し寄せてくる選挙カー。日本は民主主義国家であり、選挙のための活動は尊重されなければいけないが、音というものは耳をふさがない限り、否が応でも私たちの耳に侵入し、生活が侵される。

 騒音は聞く人の集中を切らし、あるいは睡眠を妨害し、寝ている赤子を起こす。

 選挙カーを疎む声は根強い。選挙のたびにインターネットなどで制度の変更を求める声が噴出するのは最早風物詩で、制度廃止に向けた署名運動まで起こっている。

※弁士注

削除した原稿:

 2007年に福島大学が行った調査では、新生児や乳幼児を抱える母親100人に聞き取り調査を行った結果、街宣車放送に対しての回答に否定的でない意見が混じっていた人はわずか21人。調査に答えた全員が街宣車に対して否定的な意見を持っていただけでなく、このうち28人は子供が睡眠不足になったり、子どもが混乱したりするなどの実害を被っていた。

 

3.原因分析

 この規定が登場したのは実は大正時代。個人の権利が確立されていなかった当時に、主に選挙買収を防ぐ目的で生まれたルールのひとつだ。当然、今と状況も時代背景も違う。なのに、規制強化の話が政治の場で挙がることはほとんどない。なぜか。

  それは、市街地で候補者の名前を連呼することが選挙において有効であることが証明されているからだ。

 心理学に、ザイオンス効果というものがある。単純接触効果とも呼ばれ、人間はある人や物に繰り返し接触することで、その対象へ無意識的に親近感を抱くという性質のことを言う。


 私が先ほどまでお話していたアドトラックも、実はこの効果を狙って出されている。

 風俗求人は嫌悪感を持つ人が多く、市井の人々にとっては受け入れがたいものだ。しかし繰り返し唱えられればどうだろう。何度もキャッチコピーやテーマソングを聞かされることで、ザイオンス効果によって、風俗求人であってもだんだんと音とフレーズが耳になじんでいき、気付けば違和感を感じなくなる。

 最初は胡散臭さを覚えていても、最終的には信頼できるサービスだと「錯覚」してしまうのだ。

 選挙カーも、この手法を用いている。市民は街宣を騒音だと思いながらも、だんだんと候補者に対して潜在的に好意的な感情を持ち始め、いざ投票所に行ったときに「何もしらない候補者に入れるよりは・・・」と、投票行動に結びつく可能性があるのだ。

 

4.問題提起/政策

 なるほど、選挙カーの連呼戦略が、ある意味では理にかなったものであることが説明できた。だが、それが倫理的に正しいことかは話が別だ。

 候補者に選挙カー代として50万円程度を負担させた上に、その選挙カーで騒音を撒き散らすことを半ば強要する現行制度はおかしい。

※弁士注

50万円という数字は、プロがいることを恐れて日和って少なめに出している。以下のリンクを参照されたし。

 他に有用な選挙手段がないことが問題だ。公職選挙法には多くの禁止事項が規定されているが、保守的なルールを運用しつづけている現状は、今すぐ変えなければいけない。

 故に私は、もうひとつの政策を提案したい。それは、公職選挙法を改正し、141条3項但し書きにある連呼行為の例外規定を削除した上で、より時代に沿った選挙運動が出来るよう、制度を改革することだ。

 選挙カーからの連呼行為よりもインターネットを通じて政策を発信したほうが、よっぽど民主主義の本旨に沿っているだろう。少なくとも今の選挙制度は、民主主義に沿ったものだと胸を張って言えるものではないはずだ。

 戸別訪問などの禁止されている選挙活動も、頭ごなしに否定するのではなく、より未来志向の制度作りができるよう、広く議論するべきなのではないだろうか。

 

 

主題Ⅲ:音を聞かない自由

1.導入

 私は皆さんに問いたい。このご時世、音に晒される機会が多すぎないか。ここ数十年で電子機器の開発は急激に進み、拡声器やスピーカーが街に溢れるようになった。こんなことは、人類の長い歴史で見てごくごく最近の話だ。

 技術が進歩すると、不利益を被る人が出ることがある。日本は高度経済成長に伴い、日本中で公害病が発生するなど辛酸を舐めた経験がある。そして音響機器の技術革新もまた、望まない音を聞かされる市民を大量に発生させてしまっている。これはもう、公害だと言っていいだろう。

 

2.パトスタイム

 私はナルコレプシーという脳機能障害を負っている。日本人の600人に1人が持っていると言われる障害だが、それによって引き起こされる発作の中で、大きい音を浴びると体が動かなくなるというものがある。私は薬を飲んでそれを抑えているが、これは100年前までの日本なら飲む必要のなかった薬だ。

※弁士注

この「モディオダール」という薬は、1錠300円超もする。出来ることなら飲みたくない。

 私の周囲には聴覚過敏で病院にかかった友人が複数いる。音響市場では、ノイズキャンセリング機能つきのイヤホンやヘッドホンが飛ぶように売れているという。ひとびとは不快な音から逃れるために自衛を強いられている。

 私は考えた。きっと病気なのは彼らではない。

 異常な音を押し付けてくる現代社会こそが病気なのであると。

 

3.提起

 私たちは、聞く音を選べないのか。なぜ平穏な生活を奪われないといけないのか。音を聞かない自由があってもいいのではないのか。

 情報過多のこの時代に、せめて受動的に聞かされる音くらいは、抑えたものにしたい。受動喫煙が規制されるのと同じように、受動騒音の規制に関しても、スポットがあたってもいいのではないだろうか。

 憲法で保証されている表現の自由は、公共の福祉による制限を受けるとされている。公共の福祉が何であるかは時代の要請によって変容する。

 あなた方が将来、広告を出稿する時、選挙に携わる時に、音を聞かない自由について、ぜひ主体的に考えていただきたい。

※弁士注

 主題Ⅰで条例、主題Ⅱで法律、主題Ⅲで憲法・・・と、話しがどんどん大きくなっていく構成。無意識にやっていたが、浅島というのは単純な人間なので、こういうもので気持ちよくなることができる。

 こうなったのは結局、ド頭で具体的かつ大多数が共感できる話しをして、徐々に抽象度を上げてオリジナルな政策(≒新規性のある話題)にスライドしていこう、という目論見があったからだと思う。

 

オチ

 東京、ちょっと あとは謎。少し先の未来で、新しい時代の到来を告げる、その音を鳴らすのは、あなたです。

 ご清聴、ありがとうございます。