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死者の尊厳について(本番原稿+注釈)

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今年2月、六本木ヒルズには美空ひばりが「展示」されていた。

以下の内容は、第1回 國學院大學学長杯争奪全国学生弁論大会 に登壇した本ブログ管理人が、本番で用いた原稿に注釈を加えたものです。

感想は大会総括記事に書きます。何卒。

パンフレット用論旨

人間は、死ぬとどうなるのでしょう。死んでもなお、生き続けることはできるのでしょうか。

死なない人間を生み出す「不老長寿」の魔力に取り憑かれた人は数しれず、中国の始皇帝に始まり、中世ヨーロッパの錬金術士など、世界中にその伝説を見ることができます。

死んだ人間は生き返りません。しかしまさに今、死者蘇生に取り組んでいる科学者たちが、日本にはいます。今回は「死ねない時代」の到来へ向けて、私の所感をお話します。

 


 

1.ハード

 私の父は、物理学者です。あの、NANDフラッシュメモリの設計技師をしています。

 おいちょっとまてまてまて、ナンドなんとかって、一体ナンドね。

 とお思いの方、パソコンやスマホを思い浮かべてみて下さい。

 フラッシュメモリとは、コンピューターの中に組み込まれる集積回路のひとつで、データを保存したり取り出したりする役割があります。パソコンやスマホには、必ず入っているものです。

 これは自慢なんですが、世界に出回るこのチップには、結構な割合で父の関わった特許が乗っています。息子として、こんなに誇らしいことはありません。

※弁士注

この部分は他にやりようがあったように思う。誇らしいとは思っているが、自慢してやろうという気持ちは特になかった。実父とはいえ、他人の褌である。

しかし自慢臭くしたのには理由があった。もっと字数が圧縮できていれば、終わりに父や父の会社を非難するような文言を入れ、身内叩きにして締めるつもりだった。しかしそんなことにはならなかった。

 

 そんな父と、先日話す機会があり、ある質問をしてみました。

 「ねえねえ、父さんのいる会社では、最近どんなことをやってるの」

 「そうだなあ、手塚治虫を生き返らせる研究とかやってるみたいだよ

※弁士注

この会話は実在するのか、という指摘を受けたが、実在する。

後述する「AI美空ひばり問題」が出発点になっている弁論だが、構想中にこのような会話があり、そこから原稿が前進した経緯がある。

 

2.ソフト(手塚治虫

 ぱいどん。

 講談社の漫画雑誌モーニングで、今年の2月から4月まで連載されていた、手塚治虫の完全新作漫画。

 私も読みましたが、本当に面白い。さすが手塚治虫先生です!

 とは言うものの、日本を代表する漫画家、手塚治虫は、1989年に死んでいます。

 これを書いたのは一体誰なのか。

 父の会社では、手塚治虫の過去の漫画を学習させた人工知能、AI手塚治虫を開発していました。この、言うなれば手塚治虫のコピーのような存在に漫画を書かせて、数十年ぶりの新作漫画を作り上げたのです。

 高度な技術です。素晴らしい技術です。まるで本当に手塚治虫が描いたような漫画が出来上がりました。

 それを知ったら本当の手塚治虫は、どう思うんでしょうねぇ!

※弁士注

一応フォローしておくと、このプロジェクトは学術研究な色合いが強く、しかもとっつきやすい題材に手塚治虫を選んだだけっぽい。

権利まわりもきちんと処理していて、特に言うことがない。

AI美空ひばりと対比して、AI美空ひばり側を批判するダシに使おうかという気もあったが、膨らませすぎて同列に語ってしまった。反省点。

 

3.ソフト(美空ひばり

 過去に功績のあった人間を、AIで復活させようという試み、増えているそうです。

 昨年の紅白歌合戦、私は目を疑いました。

 昭和の大スター美空ひばりが、AIとしてステージに復活したのです。

 本物そっくりの生生しいCGの衣装を身に纏い、ギリギリ人間じゃない動きをしている美空ひばりのそっくりさん、いや、美空ひばりに似た何かが、秋元康描き下ろしの新曲「あれから」を高らかに歌い上げていく。そして間奏に入った時、AI美空ひばりは、こんなことを言い出しました。

 「お久しぶりです。あなたのことをずっと見ていました。頑張りましたね。さあ、私の分までまだまだ頑張って」

※弁士注

3:00- 問題のシーン


[NHKスペシャル] AIでよみがえる美空ひばり | 新曲 あれから | NHK

 

 もう一回言いますけど、これはAIのセリフですからね。本人のセリフじゃないんです。

 お久しぶりですとか、あなたのことをずっと見ていましたとか、それを偽物から言われて嬉しいファンっていますか?

 とか考えてたら、テレビが涙を流している人を流している。こんなものでも感動する人がいるんですねえ! じゃあ彼らは何故、涙を流すほど感動しているんでしょう。それはまるで本人が喋っているかのように見えたからですね。実験は大成功! でしょうけれど、その涙は、騙されて流している涙ですからね!!

※弁士注

前述したAI手塚治虫に比べて商業色が強い。存命中は確執があって紅白歌合戦に出させられなかったのを、AIにした途端にオッケーとしたNHKには殺意すら沸く。

それにいくら生前から繋がりがあったとはいえ、秋元康に作詞・プロデュースをさせ、大々的にCDを売り出すというのは如何なものか。

何より、本人の手が入っていないのに、Spotifyで本人名義にてこの曲を登録し、配信しているのは、死者への冒涜以外に何というのか。

 

 

1.ディープフェイク

 先月2日、警視庁は、AIを使ってポルノ動画に写った人物の顔を芸能人の顔にすり替えた“ディープフェイクポルノ動画”を公開したとして、男性2人を名誉毀損著作権法違反の疑いで逮捕したと発表しました。

 ディープフェイクとは、ディープラーニングとフェイクを組み合わせた用語です。ある人物の写真を大量に機械に読み込ませる、つまりディープラーニングさせると、機械上にその人物が立体的に再現され、様々な表情や、行動をもシミュレートさせることが可能になる、という技術です。

 これを使えば、例えばその人が言っていないことを喋り、してないことをしている「偽の映像」を本物そっくりに作り、あたかも本人がやったかのように見せることができます。

 

 この技術を使って海外ではなぜか、日本の「ばかみたい」という歌謡曲を自国の著名人に歌わせる、偽動画づくりがブームになり、日本でも逆輸入される形で、ここ1ヶ月ほどブームになっています。

 

 という風に冗談で済めばよいのですが、昨年はマレーシアで、ある閣僚が、同性との性行為をしている動画を拡散され、あとでディープフェイクであったことが判明するという事件も起きています。

 

 これらの事実が示すこと、それはAIの発達により、今や誰でもその気になれば、誰かの行動を偽装することができ、しかもおおよそ人を騙せる程度まで、精巧にすることだってできる、ということです。

 ディープフェイクを作られてしまった! どうしよう! そんなときは警察に相談しましょう。先に述べた通り、警察は「生きている人間」のディープフェイクに対しては、犯人を名誉毀損著作権法違反でしょっぴくことができます。

 自分が死んだあと、ディープフェイクを作られてしまった どうしよう! そんなとき警察は・・・動いてくれません! 何故でしょう!

 それは、死んでいる人には人権がないからです!

 

2.マスコミの実名報道

 地下鉄サリン事件光市母子殺害事件京都アニメーション放火殺人事件・・・。

 現代に起きた様々な殺人事件の中で、いつだって被害者は真っ先に顔と名前を晒され、衆目の的になってきました。凄惨な現場を容易に想像させる言葉と映像と、被害者の顔と名前、マスコミはこれらを並べて視聴者に想像させます。きっとこんな風にされて死んでいったに違いない。

 なぜ、なぜそんな酷いことを、我々にさせるんですか。そういう報道をすれば視聴率が上がる、数字が取れると、テンプレのように、マスコミは死体蹴りをします。

 死人の名前や写真をどう扱おうが、死んでいるんだから訴えてくることもないでしょう。法律上保護され続ける権利もほとんどないから、遺族に訴えられても負けることはないでしょう。

 でもこれはそういう問題ですか?

 私は気持ち悪くて仕方がない。私は凄惨な殺され方をした上に、衆目を集めるために顔と名前を晒し者にされるなんて死んでも嫌です!

※弁士注

このパートは本論とあまり関係なかったので削ってもよかったかもしれないが、個人的にずっとこれで弁論をやりたい気持ちがあって、今後やる機会もないだろうなあと思ったから、ついでに喋ってしまった。

審査員に新聞記者がいたが、講評を見る感じだとやっぱりここの部分でチクリと書かれていた。内容への反論というよりも、弁論中で問題にしていることから外れるのではないかという指摘だった。ごもっともです・・・。

 

 

 死んでも嫌、だから、死してなお晒されるこれらの被害者や、死してなお人格をコンテンツとして消費される人たちに、私は同情してしまいます。

 私と同様の違和感を持つ人は、どうやらそれなりに多くいるようです。私の周囲へのヒアリングでもそうでしたし、インターネットを辿れば、同様の懸念を持つ人の膨大な書き込みを目にすることができます。

 では何故、私たちは、今更守る必要もない死者に同情し、彼らが晒されることを嫌悪するのでしょうか。

 もっと言えば、死者と私たちを隔てるものは一体なんなのでしょうか。

 

 葬式という儀式があります。古いものだと6万年前の遺跡から葬式をした痕跡が見つかっているくらい、昔から人間の生活に組み込まれているものです。

 葬式は、死者への弔いと同時に、残された人たちへのケアとしても、重要な意義があります。

 民俗学では葬式を、生者と死者を隔てるための儀式と解するそうです。死んだものとの間に境界を引くことで、生者に死者を諦めさせ、隣人を喪ったショックから立ち直らせる。そうして共同体から死者を外し、「生者のためのもの」として維持する機能が、葬式にはあります。

 私たちが墓を掘り起こすことに倫理的な問題を感じるのは、それが一度境界線を引いて諦めた存在を取り戻そうとする試みだからです。

※弁士注

このへんの台詞は西野くん(民俗学専攻)の受け売りだったりする。

 

 私たちは長い歴史の中で、生者と死者とを隔てるシステムを編み出し、運用してきました。しかしこのシステムにイレギュラーが起きます。文明の発達により文字が生まれ、印刷技術が生まれ、情報の複製と拡散が容易になりました。ある人について記した書物や、ある人の思想を色濃く残した書物が、次々に生み出され、あふれるようになりました。

 特に近年は、コンピューターの発達により、誰でも簡単に情報を発信でき、またそれが半永久的に残せるようになりました。人が死んでも、その人の情報はいつまでも残り続けます。そしてその量は日ごとに増え、今日ではついに、死んだ人間を機械上に再現するに足る情報をも残せるようになりました。

 誰でも簡単に死者を蘇生できる時代が、すぐそこまで来ています。

 しかしそれは社会にとっていいことなのでしょうか。死んだ人間の思念が共同体にいつまでも残り続けることに、どんな意味があるのでしょうか。私たちは死者に対して、どう接するべきなのでしょうか。

※弁士注

ここで政策を置く可能性もあったが

  1. 政策を置くと問題提起がブレるような気がした
  2. 政策はいくつか挙げられたが、どれもしっくりこなかった
  3. 審査員に行政のスペシャリストが2人もいた

ため、予定通り価値弁とした。

ただ、政策弁としなかったことについて「残念だった」と2人からコメントされ、審査員からも講評で「政策弁として聞きたかった」と書かれていたりしたので、もしかしてしくじったのでは・・・?という気持ちになっている。

 

 

 人間がその境界を踏み越える時、しばしば尊厳は省みられなくなります。

 先人に敬意を持ち、彼らの尊厳を尊重すること。

 それだけのことが急に難しくなって、無邪気に尊厳を侵してしまうなんて、寂しいじゃないですか。

 令和の時代の尊厳の在り方について、皆さん色々なご意見はあると思いますが、私からはひとまず「墓を暴かない」ただそれだけのことを望みながら、新しい御代を寿ぎたいと思います。

 ご清聴ありがとうございました。

※弁士注

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紅白歌合戦で感じたモヤモヤは、少し時間が経てば忘れてしまった。2月のある日、音楽遊戯の同期らと六本木の展示会に繰り出した。お目当ての鉄道の展示の入り口に、美空ひばりの成れの果てがポツンと展示してあった。何の気なしに鑑賞した私の中で、次第にモヤモヤが怒りに変わっていくのを感じた。そうしているうちに、この原稿は出来上がった。

美空ひばりはあの世から何を感じるのだろうか。長男やプロダクションが許可を出したのは金儲けの為ではないのか。本人の尊厳を傷つける行いだとは思わなかったのか。

弁論中でも述べた通り、死んだ人間で遊ぶようなことがあると遺族が待ったをかけることができる、ことがある。でも弁論で取り上げた2例は、どちらも遺族が企画自体に噛んでいるものであった。

私が美空ひばりのような人生を送ることはないだろうと思うが、逆の立場だったらと思うとぞっとする。私の死体で人形遊びをすることを遺族すら止めない、そんな可能性があるんだとしたら、おちおち死ぬこともできない。

企画展の帰り道で憤慨する私を、同期たちは「へ~~~」って顔で見ていた。きっとこんな弁論をやったって、大多数には「へ~~~」としか思われないのかもしれないが、私の感じた違和感や怒りが、聴衆のうちほんの少しの人にでも伝わり、共有できれば、語った意味はあったのではないかと思う。