朝自慢

北朝鮮のアイドルと海産物について

心が弱っている時にサウナに行ってはいけない

 同郷の幼馴染に誘われて、久しぶりにサウナ付きのカプセルホテルに行った。

 交通の便がいいところで、明日は出勤時間が遅めなことだし、このままここに泊まってゆっくりして、直接出勤しようと思っていた。

 でも今さっき、僕だけ先に帰ってきた。

 

 自分は普段からずっとPCかスマホを見ている。

 PCかスマホを見ていない時は、本や新聞を読んだり、ゲームをしたり、自転車を漕いだりしている。

 あるいはラジオを聴くこともある。出勤時間には歩きながらラジオでニュースを聞いている。

 起きているうちのほぼすべての時間で、目や耳から何らかの情報を取り入れ続けている。

 

 そういえば、このようにしている自分のことを、僕は僕なりに異常な存在だと思っていた。

 昔は情報というより音楽やアニメを入れることが多かったが、同様にインプットに空白を作らないように意図的にしていたことには変わらず、変人だと思われているかもなあという自意識はあった。オタクであるという卑屈な気持ちも、そこに拍車をかけていたかもしれない。

 でも大学に入ってから、僕よりも強烈に、これをやっている人に出会った。一年生の一般教養の授業で近くの席になった女性で、よりによって僕はその人のことが好きになって、最後の授業で連絡先を交換して、その年の冬頃までに何度か会ったりした。

 最終的に振られてしまったのだけど、振られた原因のひとつとして、彼女が僕と会っている間でもイヤホンをして、一緒に食事をしてもそそくさと食べ終わってゲームをはじめたりして、それに対して僕が嫌そうな素振りをしていたことがあった。

 僕は早い段階から、彼女も僕と同種の人であることを知っていたのに、僕よりその度合いが強い彼女のことを、どちらかというと無意識的に許せなかったのだと思う。そしてそれが所作からにじみ出ていて、彼女の居心地を悪くさせていた。

 

 僕や彼女が情報を過剰摂取せずにはいられないのは、思考に空白があると、耐えられない想像をはじめてしまうからだ。

 空白が生じると何が起こるか。

 過去のトラウマであったり、将来の不安であったり、あるいはもっと抽象的な不安や焦燥・・・が、その空白を埋め尽くしていく。こういう経験は、もしかしたら普通の人でもそれなりにあるのだろうが、僕や彼女の場合、それがほぼ確定で起こる。

 シンプルに鬱病か何かであるか、PTSDのようなものであるのかもしれないが、とにかくそういうことが実際にあり、実際の問題として生活のなかで障害になっている。

 彼女がどうかは知らないが、僕はそれはもう昔から、これが生活に支障をきたしている。

 

 僕はいまのところ、この障害・・・あるいは特性と、うまく折り合いをつけることに失敗し続けている。

 いろんな人と話しつづけたり、いろんなところに出かけたり、いろんなことに関心を持ったりしつづけることで、自分の心に暇な時間が全くないようにしないと、耐えられない。

 暇そのものが耐えられないのではなく、暇になることで嫌な想像をしてしまうことに耐えられないのだから、まだ救いがあるのかもしれないが、いま救いがあるわけではない。

 暇を埋めようとする営みを繰り返したことで、その結果として、人間関係を広げすぎて潰したり、迷惑をかけて不興を買ったりすることがある。そしてそれも大学の授業を取り切ったあたりから、どんどんひどくなっている気がする。

 

 ところで、僕は大学3~4年にかけて、家出をしてカプセルホテルに連泊していた時期があった。あるいは友人や後輩の家に泊まらせてもらったりしていた。

 このときは就職活動の只中で、カプセルホテルを面接の前後に入れて、ホテルから面接会場に向かったりしていた。

 カプセルホテルにはサウナがあった。サウナに入ってじっと座っているとき、僕は大抵、就職活動について考えていた。ESに何を書こうとか、面接で何を話そうとか、色々とシミュレーションをしていた。

 

 このころはサウナに入ることが半ば習慣になっていたので、いい感じにサウナと付き合えていた気がする。

 それからかなり経って、今日は久々に、サウナに行くことになった。

 僕を誘った友人は幼稚園から高校までずっと一緒で、高校の時は同じローソンでバイトしていた。お互いのことはよく知っていて、今でもたまに一緒に飲みにいくので、特に気を遣うこともなかった。

 サウナ室に入って、並んでじっとしていた。徐々に熱くなって、一度外に出た。水を飲んでシャワーを浴びて、タオルを冷水で湿らせて、かなりいい感じの状態で再びサウナ室に入った。

 

 サウナ室はすることがない。さきほど出したカプセルホテルではサウナにテレビがついていたが、今日のところにはテレビがなく、ラジオもなく、音楽もかかっていなかった。まったく無音のサウナで、雰囲気重視なのかなんだか薄暗く、隣の友人の顔も見えない。というより、ドライサウナなのであまり目も開けられない。

 僕は目をつむって、ずっと下を向いていた。取り急ぎ考えなければならないプライベートの問題も特になかったので、何も考えずにじっとしていた。

 少しのあいだは、何も考えない、という状態を続けられた。しかしこれが続いたためしがないことについて、僕は油断していた。

 頭の芯から、嫌なことが一気に噴き上がってきた。ネガティブな様々なことが、意図的に忘れようとしていた嫌な記憶の数々が、一気に頭の中を駆け巡っていた。

 そのタイミングで友人は、水風呂に入るためにサウナ室を出た。彼がドアを閉めたあと、静かになったサウナ室の中で、僕は泣き出してしまった。そもそもサウナで全身茹っていて、悲しい気持ちはそのうち吐き気になった。僕は辛うじてサウナ室を出てから、フラフラになりながらトイレに駆け込んだ。ひどいことになってしまった。

 

 今しがた帰ってきて一息ついて、体調的にはかなり楽になってきた。

 体力的に万全でなかったというのもあるだろうが、直近で人に迷惑をかけることがあって落ち込んでいたことが、主たる原因であったように思う。

 サウナそのものが悪いということは決してないのだが、空白に身を投ずるプロセスを含む娯楽については、特に僕のようなものにはリスクがあるのだということに、今後は一層自覚的でなければならないように思う。

 以上を当面の備忘としてブログに残す。