朝自慢

北朝鮮のアイドルと海産物について

生活の生々しさ

 生きる中で起きるよしなしごとは、大抵の場合は偶発的なものであって、僕たちがコントロールできることはほんの僅かだったりする。それなのに、僕たちはいつの間にか、自分の生活の支配者が自分だなんて驕ったことを考える。

 ある程度の困難は自分の意思で避けることができるらしいけど、避けきれない生き辛さだってある。僕にとっては例えば、爆音を垂れ流すアドトラックであったり、出会い系や風俗求人の広告であったり、あるいは「子供を東大生にしたママの教育法」であったり、まあ色々なものが当てはまるのだけど、すべてのものにピリピリしていたら生活はままならないし、ある程度のものはノイズに落とし込んで無視するしかないもんだとは分かってる。分かってるつもりだけど、全く気にしないで生活するというのはやっぱり難しい。

 

 生々しい欲求が苦手だ。

 それが誰かを傷つけないものならいい。食欲や睡眠欲ならまあいいだろう。それを貪るのに間接的に誰か何かを犠牲にしているのは分かるけれど、そこに直接傷ついている人間はなかなか見出し辛い。

 誰かに何かを認められたいとか、例えば強くなりたいとか、優しくなりたい、優しい人だと思われたい、そういう欲求もいいと思う。人格として高度なものを得ようとする姿に何か高潔なものを見られる気がする。僕もそういうものを志向していきたいと思う。

 僕が苦手な欲求ってのはいくつかある。まず「生きたい」って口に出したり、あからさまに願ってる人が苦手だ。

 生きることは辛いことだと思う。生きている人はかわいそうだと思う。死ぬことは悪いことだなんて考え方が当たり前に広がっているのがよく分からない。命は大事だと言うけれど、倫理を貫くだとか、正しさを追求するだとか、そっちのほうがよっぽど大事なことのように思える。それを探すために戦地で死ぬだとか、危険な実験に身を投じるだとか、思考の末に自殺するだとかのほうが、何も考えずに生きることを続けるよりもうんと立派なことのように思う。

 そもそも、生きている限りやんわりとでも何かを傷つけなければいけないというのが、僕にはおよそ耐えられない。生きることを強制されることへの違和感はずっとある。もっとちゃんと頭がよくて、病気も障害もなくて、社会性があって容姿も優れていて、その人の生産活動で救われる人間がより多くいる人のほうが、社会からの要請も強いだろう。僕がいくら僕なりに働いて納税したところで、納税分以上に社会のリソースを食いつぶしているようでは、いないほうがマシというものだろうに、今の自分は大学生として、なぜか「いないほうがマシ」という人間にすらなれるか瀬戸際のところでバタバタしている。

 

 昨日、祖母の見舞いに行った。

 祖母はしばらく見ないうちに変わり果てた姿になっていた。髪はほとんど白髪だし、顔色も青いのか黒いのかよく分からなくなっていた。倒れて搬送されてから、危ない状態は脱したにしても、満足に立てないし手を動かすのも辛そうで、テレビを見たり新聞を読んだりは出来なくなっていた。

 祖母は讀賣新聞朝日新聞を併読している。50年以上前から、メディアは正しいことを言わないというのが信条でやってきた人らしい。週刊誌なども盛んに読んでいる。祖母は政治と相撲の話が好きで、祖母の家に行った時もよくしていた。よしちゃん、今の日本はどう、世界はどう、また戦争になったら嫌だね、戦争を避けるための一票だからね、ちゃんとニュースを見てね、でも一社だけ信じるのはダメよ、と言われたっけな。

 見舞いに行った時も、まずは大相撲の9月場所について聞かれて、その後はニュースの話題になった。関西電力がどうとか、小泉進次郎がどうとか、水道民営化がどうとか、事実関係を色々と僕に聞いてきて、その間に僕以外の家族が別の部屋で話し合いをしていた。

 祖母は僕の話を聞いてから「事実を探してきて頭に入れようとするので精一杯。考えることが面倒くさくなってきちゃった。考えるのを面倒くさく思うようになったらいよいよ死が近いのよ。おじいちゃんがそのへんまで向かってきてるんだわ」なんて言い出して、僕は首を横に振るしかなかった。

 

 家族でひととおり励ましてから出てきた。妹の成人式までは生きてくださいよとか、来年には五輪がありますしとか、そろそろ陛下の記念式典ですねとか、どんどん話題が近く、スモールになっていった。僕はその場の空気に耐えられなかった。病院から出たところでグロッキー気味にスマホをスワイプしている僕を見て、母さんは言った。「おばあちゃん、もうずっと大変みたい。今日は特に元気だったけど、やっぱり孫パワーなのかも」って。

 僕は「もう長くないの? 今日が最後かもしれないの?」って言ったら、母さんは黙って俯いてしまった。お前親だろ、もう60だろ、俺は21だぞ、自分の言葉でちゃんと話せよ、なんて色々言いたいことはあったけど、この人もまた、自分の親の死にそうなのに直面して、それどころじゃなくなっているんだろう。祖父が死んだ時も泣き通していたし。

 

 病室を出る時に、祖母は僕の手を握りながら「よしちゃんはちゃんと生きて、動けるうちに動ける時にしか出来ないことをいっぱいやってね。おばあちゃんは倒れてから気付いたんだけど、結局倒れる時までずっと青春だったのね。いつだって昔を青春だと思うけど、時間が経ったらその時も青春だったんだって気付くの。おばあちゃんも死に際になったら、よしちゃんと今話してる時間だって青春だったって思うのかもね」って言った。

 僕らの来院に合わせて入浴したらしい祖母の肌つやは、それでも年相応にしわくちゃであったし、表から見える限りの肉体もすっかり痩せこけ、骨が動くのがよく観察できるくらいだった。発声するたびに喉の筋肉の筋が動いて、動物実験の映像みたいだった。息切れ気味に話をしていた。必死に僕に話しかけようとしていた。この人は生きていて、生きるということに必死でしがみついているのだと感じた。諦めたら飛んでいきそうな生に、必死で噛み付いているようだった。

 

 生きることに執着するという「普通」の倫理観で生活をしているなら、死に場所や死に時はなかなか選べないと思う。

 僕は、死んでいるところを見られるのは恥ずかしいと思っているので、葬式も開けないような状態で死にたいな、とは思っている。お別れの挨拶とかナシに、スッと、色々な生活の隅っこにいた浅島って存在を「消して」しまいたいと思っている。

 そういう綺麗な消え方がよく分からないし、今はどうやってもできないだろうから死ぬにしねない、というのをズルズルやっているけど、それが出来るなら本当は今すぐにだって死にたい。

 突発的に死にたくなることがある。原因は様々だけど、そこから回復するのに毎回のように同じ人に頼ってしまっていて、少し心苦しい。そもそも誰かのキャパを自分なんかの為に割いてもらおうってのが心苦しい。もし完全に許してくれるって人がいるのなら、それこそ際限なく依存してしまう気がする。こう思っているうちは結婚なんか出来っこないだろうなって思う。誰かと恋人にもなれないと思う。だから誰かに恋しい感情を抱くたびに、僕はどんどん沈んでしまう。異性なんか好きになりたくないのに、恋愛感情は待ってくれない。

 誰かを好きになる感情も、本質的には生々しい欲求であって、それを資本主義がマスクしてお洒落にしているけど、感情が存在するのは人間を生殖に向かわせるためであって、自分が本能によってそこに向かわされているのだと自覚するとしんどくてしょうがない。生きている限りこれが続くのなら死ぬしかない。でも上に書いたように踏ん切りがつかない。

 

 祖母の生への執着には何のマスクもなかった。むき出しの欲求。誰に見せても否定されないものなのだろうけど、僕はあの時、ますます居心地の悪さを感じていた。

 清廉な生き方の定義が自分の中でもかなり曖昧で、必ずしも正しく生きられてはいないだろうという状態にいて、自分のすることが自分の生き辛さに拍車をかけていて、自分の発言で傷つけてしまう人もいるし、生活がしんどい。目に入るものすべてを倫理的に煮沸消毒したいくらいなのだけど、そういうポリコレマンを指向したところで表現の敵だとボコボコにされる未来しか見えないし、そもそも僕は表現の自由過激派であったはずなのに、どうしてこうなってしまったんだろう。

 また長いラインを書いて、誰かに何かを聞いてもらいたい気持ちになっているけど、書きたいものがない。ただぼんやりとした不安、輪郭の見えない「懼れ」に囚われて、身動きできないまま一日が終わってしまった。明日こそ大學に行かないといけない。