朝自慢

北朝鮮のアイドルと海産物について

前に書いた「やりたいこと」の途中経過

終電後に渋谷にいることが当たり前になると、
終電後に渋谷にいたくないという気持ちになるのである(後述)

 以前にこういうブログを書いた。

 

 今日はその進捗について、備忘を兼ねて少し書こうと思う。

 

 ブログにはこういうことを書いた。

まず、青山に住みたい。でも青山の人間にはなりたくない。青山に住んで、青山の人間たちを至近距離から観察したい。紀ノ国屋でネギを買い、グリーンシードに家賃を払い、Tシャツ短パンでゴミを捨てに行く金持ちを見たい。僕が住む家は精々月10万くらいで借りられる”ボロ家”で構わない。

 これについてだが、僕は今まさに、青山の自宅でブログを書いている。

 しかし当時想像していた青山ぐらしとは少し様相が違う。

 まず上で、僕は「10万のボロ家で構わない」と書いている。確かに青山にあって月10万円で借りれる家はボロ家であろう。しかし驚くなかれ、僕がいま住んでいる家は月5万円のボロ家である。

 つまり上には上があった―――いやこの場合では「下」か―――というところだが、僕の家はボロのうえ、入居条件が厳しい曰く付きの物件なので、そうそう入居できるものではない。それと当たり前だが、閑静とは程遠い住環境である。

 幹線道路に近いのももちろんあるが、それ以上に家の前の通行人に「変な人」が多いのだ。夜な夜な叫んだり歌ったり、それも大勢だったりソロだったり、あるいはスケートボードの擦れる音が響いたり、それを見て「エーイ」とかいいながら縦動画を取る人がいたり。

 もう少し奥まったところに入れば、いくらかマシにはなるのだろうが・・・しかし予想していたところなので、今は我慢している。

 

 青山の人間たちを至近距離で観察したい、と書いたが、これが達成出来ているかは微妙だ。紀ノ国屋のネギも買ったことがない。周知の通り僕はドケチなので、早く帰れた日は自転車をシャカシャカ漕いで千駄ヶ谷のオーケーストアに行き食材を買い込む。帰れない日は渋谷のドンキのB1Fで野菜などを買う。ドンキで肉を買うのはなんとなく避けている。

 家賃の支払先はグリーンシードでないが、グリーンシードに家賃を払ってそうな人はたくさん見る。そして僕が入居したのは晩夏の頃だったのでグリーンシードに家賃を払ってそうな「Tシャツ短パンでゴミを捨てにいく金持ち」はまだ観測できていない。目下最大の楽しみはこれである。早くTシャツ短パンでゴミを捨てにいく金持ちが見たくてウズウズしている。

 

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 今の家に越してから、最寄り駅が渋谷駅になった。定期券も渋谷発のものを作っている。しかしながら、いまの仕事は大変に忙しいもので、退勤時間が終電頃になることも多い。

 渋谷の飲食店は遅くまでやっているところが多いが、そういうのはたいてい飲み屋かラーメン屋であって、ちゃんとしたご飯を出してくれそうなお店や、自分へのご褒美になりそうな綺麗めなお店は、概して21時ごろには閉まるものだ。23時くらいに退勤して0時過ぎくらいに渋谷駅へたどり着くと、開いているお店といえば深夜営業のラーメン店がいくつかと、松屋くらいである。

 よって、昔からウロウロすることに憧れていた「終電後の渋谷」は、仕事のせいで慣れてしまった今では、栄え具合に反して野菜を摂る選択肢がないという、基本的に野菜が食べたい浅島にとって厳し~~~い場所になってしまっている。

 

 また帰りが遅いと自炊にも困る。僕が重宝しているオーケーストア千駄ヶ谷店は、青山から自転車で行ける範囲のスーパーの中では特に安いのだが、営業時間が21時30分までと短い。一旦家に帰ってから自転車で行くためには、残業はしていられない。しかし残業しないで帰ることは新人の僕には許されていない。

 浅島が仕事の遅いノロマであるから定時退社できないのだ、と言われてしまえば何も反論が出来ないのだが、仕事の仕組み上、定時間際に仕事を振られることが多く、また仕事が仕上がっているべき時間が明朝だったりするので、そうなると残業せざるをえない。そして僕の課長や係長は、僕よりもウンと残業していて、僕よりもウンと遠いところに住んでいる。僕の仕事を巻き取ってもらったせいで上司が帰れなくなったことは一度や二度ではない。

 そういうわけで僕の夕飯は、やや荒廃したものにならざるをえない事情がある。とはいえ今の状況を善いものとは僕も決して思っていないので、どうにか抵抗しようと色々気にしている。なるべく定食にしたり、サラダをつけたり、野菜をマシたり、ヤサイマシにしたり、ヤサイマシマシにしたり・・・。

 そうそう、浅島邸にはトマトジュースが常備してあって、積極的に飲むことで血圧を御そうとしています。無駄な抵抗かもしれないけれど・・・。

 

 あとブログで書いていたイケアのメカメカ照明は、入居時にかなり本気で検討した。イケアとビックカメラを行ったり来たりして迷いまくった末、一旦シーリングライトにしよう、となり見送った。

 こうなると次のきっかけはなかなかないもので、このままだと杉玉を酒蔵に下げるが如く、メカメカ照明を青山浅島邸に下げることは叶わないかもしれない。や、別に明日僕がイケアで1万円くらいをはたいて買ってくれば訳ないことではあるのだけど、そうはいっても今更照明に1万円・・・すでにシーリングライトがあるのに・・・となってしまう。悲しいね。

 BUMP OF CHICKENの「カルマ」という歌に「存在が続く限り 仕方無いから場所を取る ひとつ分の陽だまりに ふたつはちょっと入れない」と詞があるが、陽だまりどころか発光物体であるところの照明を2つというのは、やっぱりちょっと入れないところがあるのだよなあ。(←外せよ!)

 

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 横浜市中区初音町に住むというのは、仕事の都合で難しくなった。職場から遠すぎるからだ。

 今後転勤があることも予想されるが、ほとんどの転勤候補先は現在の職場より北側にあるので、初音町からは遠ざかってしまう。

 私は以前、初音町に住みたい理由として「住所が初音ミクっぽくなれる」と「ハマスタで酔い潰れてもすぐに帰れる」を挙げていたが、どちらも折れざるを得なくなってしまった。

 しかしながら今住んでいる青山の家は、神宮球場が徒歩圏内である。いや徒歩・・・だと少しかかるが、自転車なら一瞬で着く。

 神宮球場で酔い潰れたとして、タクシーさえ拾えれば、すぐに帰ってくることができる。そういう意味ではハマスタの代替を成しているといえるかもしれないが、しかし私は横浜DeNAベイスターズのファンであって、東京ヤクルトスワローズのファンではないのだ。

 ヤクルトの本拠地でビールをしこたま飲んだとて、ベ軍の強化費には何ら貢献できないばかりか、同一リーグで戦う敵であるところのヤクルト球団の懐を潤すことになってしまう。これではいけない。

 うーん、どうしたものか。

 

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 資格については、あれから進捗があった。

 まず試験合格止まりとなっていた防災士だが、無事に認証を済ませて正式な登録ができた。また多分ブログでは触れていなかったところであるが、その後大學で宗教文化の副専攻を修了し、その後に試験を受けたことで宗教文化士の認証を受けた。

 在学中に目指していた資格を2つとも取ることが出来たのだが、メインで挙げていた韓国語については何ら進捗がない。これはひとえに浅島がサボっている故の停滞である。

 仕事の忙しさを言い訳にしていいわけ!?・・・と自レスしておくが、しかし本当に忙しいうえ、最近は職場でTOEICのスコアを取るようにとのことで受験料助成もされているので、こっちを優先してしまっている。

 早く韓国語を身に着けて渡韓したいのだが・・・。最近会う友人知人に「カンジャンケジャンって興味ない!?」とか聞いて回っているのだが、どうしてか興味のない人ばかりに当たるもので、このままだと行っても一人旅になってしまう。誰か一緒に韓国語を勉強して、カニ、食いに行きませんか。🦀

 

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 仕事の目標とか、思い描くキャリアとか、そういうのを早く固めろという圧は常に感じつつも、面倒くさいので先延ばしにしつづけている。目下関心が向く将来ごとといえば証券投資であり、そのためにポートフォリオをああでもないこうでもないと弄っているのだが、だんだんこちらをやる元気もなくなってきた。

 社会人になってからしばらく経つが、だんだん金銭的な余裕も出てきて、現物投資に回せる余剰資金も100万円くらいになってきた。実家ぐらしの人や実家が太い人と比べるとどうしても見劣りしてしまうのだが、僕なりに一生懸命稼いだ虎の子なので、なるべく嗜好性の高い銘柄には突っ込まず、ローリスクミドルリターンを目指して運用している。

 もっと人生を俯瞰して、今後の生き方について検討するべきでないか、という自省もあるのだが、これも面倒くさい。あまり責任を負いたくないカスなのでそういう判断をしたがらないのだが、仕事柄他人の人生を左右したり背負ったりすることがある中で、自分の人生の選択さえままならない人が果たしてパートナーとして選ばれるのかという意識は、常に持っていなきゃいけないのだと思う。

 最近は紅茶に凝っている。職場にポットがあるので、よく紅茶を淹れて飲んでいる。産地はインドやスリランカ、台湾など様々で、香り比べが楽しい。

 異国の香りは自分の心をちょっと自由にしてくれる気がする。身が東京に縛り付けられていようが、心まで東京に染まりきることなかれ、町田も東京に染まりきることなかれ・・・などと考えながら、日々紅茶を飲んでいる。

 

 紅茶を飲んだからイギリス人になれるというものではないが、僕も大英帝国の最大版図と同じくらい広い心で、余裕を持って日々を過ごしたいものだ。