家父長制と佐久長聖で韻が踏めることに気づいてしまった。その刹那、世界でただひとり僕だけが【真理】に辿り着いたような、クソデカい興奮を感じた。
どこまでも脱衣所が拡張されていきそうな意識の中で、僕は何かにせっつかれるように大急ぎでそのことをスマホにしたため、一息ついてから風呂場に入った。シャワーを浴びながらブツブツと、家父長制、佐久長聖・・・と唱えていた。
他に何か韻が踏める言葉はないかな、とぼんやり考え始めると、ヒュージ、ヒューリック、ヒューマンの3つが『ヒュー』で始まることに気付いた。それから今度は「ヒュージ、ヒューリック、ヒューマン・・・」とブツブツ唱えながら大急ぎで体を洗って出てきた。
しかし今、改めてパソコンに向かい直すと今度は「ヒュージ、ヒューリック、ヒューマン」が微妙に揃わないことに気付いた。僕は何のために唱えていたんだろう。この3つの言葉が繋げて置いてあっても、大概役に立たないじゃないか。
悔しいので、それぞれの単語から連想できるよしなし事を書き連ねてみようと思う。
ヒュージ
11月初頭に、辯論部有志で八ッ場ダムに行った。
序
川原湯温泉の民宿を借りて一泊した。スマホが水没してぶっ壊れたことを除けば楽しい旅行だった。コーディネートしてくれた岩﨑くんにはただ感謝している。
八ッ場ダム、と聞いて顔をしかめる人もいるかもしれない。このダムは大昔から政治闘争の舞台として、全国的にその名前が取り上げられ続けた、いわくつきのダムである。吾妻峡や川原湯温泉があり、古くから紅葉と急流を堪能できる湯治場として栄えていた地域を、公共事業のために丸ごと水没させてしまおうとする行政は多くの反発を買った。強権的に調査が進められる中で、水没地が所在する長野原町の住民らが「ダム建設絶対反対」で団結して国と対峙し続けた。民主党政権時代に一旦工事が凍結されたが、結局再開されて今年10月から試験冠水が始まるに至った。
先の台風19号では、八ッ場ダムは試験冠水の状態でありながら満水になった。テレビで繰り返し八ッ場ダムが映されるのを見て「そういえば温泉があったよな・・・」と気付いた僕は、かねてから旅行に行きたいと言っていた岩﨑くんに「八ッ場・・・」と投げた。なんやかんやあって有志が集まり、日程調整をした結果、11月初頭に泊まりに行くことになった。
補償事業の一環として、八ッ場ダムで国側の研修(プロパガンダ)を受けると、周辺施設の宿泊代金が3000円オフになる制度があったので使わせてもらった。
川場
こんな感じで
ここに来て
これを食べた。
ダム
こんな感じで
ここを通って
はい。
やんば見放台。
いい景色ですね~。
研修
撮る人を撮る人になり
アイスを摂る人になり
台風の爪痕を感じつつ
自然の強さとデカさを感じた
榛名山
わかさぎ丼をいただいて
でっけぇー榛名富士!!
感想
一緒に行ったみんなはダム建設賛成派・推進派だったけど、やっぱり僕は八ッ場ダムを肯定しきることができない。
八ッ場ダムはダムとしての規模は正直小さい。これは行く前からある程度わかっていたことだけど、実際に行ってみるとやっぱり結構小さかった。ツイッターとかで「八ッ場ダムは人を救った!」と言っている人たちが沢山いたけど、なんかどーしても民主党を批判したい人たちが結構いてゲンナリした。こういうのは問題ごとに切り分けて評価してやらんといかんのに。
効果を疑問視する論文もある。ダムが満水になったおかげで下流で抑えられた被害の試算みたいなものがどっかにあったけど、やっぱり不安は残るみたい。朝日新聞でもそのテの記事を見た。で、やっぱりネトウヨみたいな人たちに「感情で新聞を書くな」みたいにぶっ叩かれてた。失った信用を取り戻すのって大変ですね。
僕らは今回、国側の意見にしか触れなかった。というか、国側の意見に触れるかわりに割引になるから旅行したのだし、ただでさえ予定ギッチリの中で行ったので、両論併記的なレポが書けない。
両論の反対側でいうと、まだ活動している抵抗勢力に「八ッ場あしたの会」がある。
僕も旅行に前後して色々読んだけれども、このダムは理不尽さとか非合理さとか、いろいろなものを覆い隠しているようで、なんかモヤモヤする。完成してしまった今になってとやかく言ってもしょうがないのだけど、やっぱり名湯や名勝がまるっと水没してしまったのは悲しい。温泉は満足できるものだったけど、これでも水質は以前より悪くなっているらしい。
公共事業、特に治水に関しては人命に直結するから、多少強引にでも工事を推し進めるのはおかしなことではないとされている。それでもその政策で犠牲が生まれる以上は、ちゃんと誠実に向き合って、フェアに補償を検討しないといけないと思う。で、どれくらいフェアかってのは結局主観だから、折衷できなさそうな現場ならとっとと撤退するのが筋だろうし、しないならよっぽどの理由を持ってこなきゃいけないと思う。吾妻峡と川原湯温泉を沈めてでもやるべきよっぽどの理由が果たして役人にあったのかはやっぱり分からない。
温泉にスマホを持ち込んだら湯の花で滑って転んで、その衝撃でスマホが息絶えてしまった。元々壊れていたけれど、飛んだデータを思うと惜しい。1万円ちょっとで買って一年くらい持ったからまあいいか。
今回写真を多めに貼ってるのは、スマホが壊れてインスタに上げられないからです。許してくれ。
気が向いたらもうちょっと丁寧に個別記事にするか、弁論にしてどこかで出す。色々と思うことがあるけど出す機会がなかったので、写真だけレスキューしました。
ヒューリック
株をやっていると、それまで気付かなかったものにたくさん気付ける。
僕たちが名前をパッと言える会社って、普段僕たちが暮らしていて接点があったり、お金を払って接点を作り出してくれていたり(ex広告)する会社で、そうでないところは馴染みがなかったりする。
けれども会社としての規模とか、世の中に与えている影響が大きい会社って、必ずしも知名度が高いとは限らない。信越化学とかファナックとか、普通に暮らしていても知らないままで済むけれど、日本経済に与えている影響はバカでかい。
それも込みだけど、時として株は僕に「視点」を与えてくれる。
僕は前に「いちご」という会社に投資していた。名前がかわいかったから目をつけて、そういえば見たことあるなあと思ってぼんやり突っ込んだ。ちょっとだけ儲けて撤退した。
この会社は不動産経営をしている。いちごなんたらビル、みたいなのがあって、会議室を貸したりオフィススペースを貸したりして収益を出している。REITでも「いちご投資法人」だかなんだかを上場させていて、こっちで集めたお金でビルを建てて貸し出し、収益を配当している。僕はREIT、つまりビルそのものではなくて、それをやっている人たち、即ち会社自体に投資をしていた。
またどこかで書くけど、僕は株主総会に出たくて株をやっている。株主総会は、会社の経営者と投資家がぶつかる場所だけど、お互いに会社が成長することで利益が出るし、そこを目指している。それでも二者は対立してしまうことがある。同じ方向を別々に進もうとする大人たちの、正義と正義が交錯する、そんなピリついた『現場』を拝みたくて、やばそうな会社、面白そうな会社にばっかり突撃している。
というか、株主総会って弁論だと思う。弁論がまさに実践されている現場だと思う。僕も会社を研究して質疑に立つし、そもそも投資する時点でかなり研究をする。勢いで買うことは基本的にない。
それでもいちごに関しては、ノリで買ったところがある。十分研究してなかったけど前から目をつけていて、トランプがいらんこと喋ったとかで急に価格が下がったので、これは絶対跳ね戻しがあるなと思って200株くらい買った。読みは当たって、グイッと持ち直したので適当なところで売った。
だからいちごの総会には行ってないし、どんな人がどんな理念で経営しているかも知らない。この人たちの正義も知らないし、それと対峙する別の正義も知らない。
対峙の構図は、別に「経営陣と株主」だけではない。同業他社だっている。
いちごのライバルに、ヒューリックという会社がある。買おうと思ってから、特に理由はないけど手を引っ込めてしまった。
やっぱり僕はこの会社がどんな会社なのかよく分かっていないのだけど、僕がこの会社を知った前後で、少し心情の、というか視点の変化があった。
いちご株を買う前後くらいにも、僕は街の中に「いちご」と書かれたビルが結構あることに気付いて、よく見るようになった。「いちご〇〇ビル」なんてのが、実はそんじょそこらにあって、僕は意識しないでスルーしていたから気付かなかったけど、僕はいつのまにか「いちご」に包囲されていた。そんな不思議な気持ちを持った。
いちごとの対比でヒューリックを見るようになった時、僕には新しい驚きがあった。僕の身の回りに限ってかもしれないけれど「いちご」よりも全然「ヒューリック」と書かれたビルのほうが沢山ある。「ヒューリック」のほうが僕をよく包囲していたし「いちご」の不動産と併せると、僕はもうほぼ毎日、これらのビルのそばを歩いていて、あるいはビルの中で生活している時間さえある。
新宿で、秋葉原で、品川で、横浜で。どこに行ってもある。僕は今まで見えていなかった『影の支配者』が可視化されたような気分になった。別に悪事を働いているわけではないだろうけど、自分のすぐ近くで不気味に蠢いている。ずっと、いつまでも。
先日、渋谷PARCOがオープンした。僕も遊びに行った。NINTENDO TOKYOとか、ポケモンセンターシブヤとかが入居している。服屋もレストランもたくさんある。
このビルの上階は、ヒューリックが管理しているオフィスビルになっているらしい。ビルの上の方に「PARCO HULIC」のロゴが青く灯っている。気がつけば向かいの、hotel koé tokyoが入居しているビルのトップにも「HULIC」と書いてある。
注意して渋谷を歩いてみると、至るところにHULIC、HULIC、HULIC。僕が意識していなかっただけで、それらはすべて最初からそこに存在していた。だからなんだ、と思われるかもしれないが、僕がひとつの「視点」を獲得したことで、世界を構成するひとつの事実について知ることができた、アクセスできるようになったことは非常にありがたい。これは株をやっていなければ体得できなかったものかもしれない。
こういう「視点」の獲得は、なにも株だけではない。ニュースなんかを見ていると、コンビニのドミナント戦略がどうとかってものが流れてくることがある。
なぜか同じ系列のコンビニが固まって出店しているアレだ。なんでもそっちのほうが効率がいいとかなんとからしいが、問題も起きている。利益率の高いFC店の近くに、チェーンの本部がドミナントと称して直営店を出店して、FC店から利益を吸い取ってしまう、アレだ。
補足すると、セブンイレブンは津々浦々でオーナーを募集してFC店を出店させ、その中で収益効率のいい(≒儲かる)店舗があったらオーナーを追い出して乗っ取って直営店にする経営戦略を敷いています
— 浅島 義俊 (@asadziman) 2019年11月29日
セブンイレブンオーナー齋藤敏雄さん死亡 ドミナントで長男自殺、妻の証言 https://t.co/kr2rGjewMv
こういう商法がまかり通っていることに僕は怒りを感じるが、このニュースからはそれとは別に「世の中にはこういう勝ち方もあるけれど、企業倫理的に推奨されない」という情報を酌むこともできる。
自分がこれから先になにか悪知恵を思いついて実行しようとした時に、先に近いことを実践している人がいてどうなったか、という情報にアクセスすることはできるだろうけど、仮に成功している「ように見える」人・組織が、社会的にどう思われているか、扱われているか、という部分にまで踏み込んだ情報ってのは、社会問題にならない限りなかなか表に出てこない。
ニュースは時事問題について、自分が持ち得なかった「視点」を提示してくれる点で有意があるし、だからこそ記者の感想とか社説みたいなものにもその存在意義があるように思う。メディアは事実だけを伝えろ、と言う声がちょくちょく聞かれるけれど、少なくとも僕は他人の声が知りたい。それもツイッターで拾えるお気持ち程度のものじゃなくて、ちゃんと勉強してきた人が責任ある立場から書いた意見を食べたい。
情報は好き嫌いせずなんでも食いにいけ、という信念じみたものが自分の中にある。特にそれで痛い目をみたことがないから、ひとまず間違ってはいないんだろうなと漠然と思っている。
株、楽しいよ。みんなもやろうよ。でも情報商材は買っちゃダメだよ。絶対勝てる投資なんてこの世に存在しないからね。
参考までに金曜終値をば。
ヒューマン
この曲がめちゃめちゃ好きで最近頻繁に聴いてる。テーマに合わせてるとかではなくて、これは本当の話。
椎名もたの曲は全部好きなんだけど、新譜が出ることが絶対にありえないのが残念でならない。彼は20歳で死んでしまったのでね。
歌詞の意味が正直分からないけれど、曲の中で語り手が「ぼくは宇宙人なのさ」って明示しているので、最初から対話をする気はないのかもしれない。
歌詞の一節に
すきです/らぶらぶ/あいうぉんちゅー
どれがホントかな?
わかるかな?
とあるんだけど、この言葉選びは面白いなと思ってる。
「すきです」ってのは多分、相手として警戒していませんよとか、人として好意的に見てますとか。「らぶらぶ」ってのは更に踏み込んでいて、相手に対して愛情があるかどうか。「あいうぉんちゅー」ってのがもっとドライでビジネスライクな付き合いだったり、必要な相手だから表ではニコニコしているけど実は信用していませんよとか、そういう怖い表現なんじゃないか、と勝手に思ってる。
確かに対人関係って、ほとんどこの三択で、相手が自分をどこに位置づけているかを探り合うのが「コミュニケーション」な感じがするし、そこが僕の苦手なところだな・・・と苦々しく思ったりする。
もし本当にそういう意味で、それをこんなに簡潔な言葉で著してしまったんだとしたら、これは大変なことだと思うよ。
そろそろ午前二時(!)で眠くなってきたのでここでおしまい。