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北朝鮮のアイドルと海産物について

ウェブサービスとダイバーシティ

 先日、ツイッターにブログのリクエストが来ていた。

 曰く、僕があんまり職場のことを書くもんだから、職場について詳しく教えろ、というものだった。

 正直、書きたくない。書いて身バレでもしたら大変だし、そもそも僕がいるところはIT系で、IT系の人がブログで会社について書く時といったら大抵退職する時なので(IT系にいる人には全力で頷いてもらえると思う)若干縁起が悪いなという気がしている。

 なのでちょっと、今回は変化球というか、僕のいる会社のある側面にフォーカスしてみみっちく書いていきたいと思う。もっと違うものを期待されていたとしたら申し訳ないです。


 ざっくり紹介

 早速身バレ要素をかましていくんだけど、僕は都内の某出版社のIT部門で働いている。

 身分としてはアルバイトなんだけど、ほとんどインターンのような感じだと解釈している。中途入社と同じラインで採用までいったし、福利厚生も社員とほぼ同じ。仕事もクリエイティブなもので面白いし、何より無理のない範囲でやらせてくれる。

 僕はこの会社をものすごく気に入っている。天職かもしれないと思っていたけど、多分ここが今までで一番ホワイトな現場だってことが、一番モチベーションアップに繋がっていると思う。

 勤務時間は分単位で記録されて細かく賃金が出る。仕事中いつでも水分を摂っていい。どんな格好で仕事してもいいし、他人に迷惑がなければ何を持ち込んでもいい。デスクワークなんだけど、僕は座布団にマグカップに、いろんなものを持ち込んでいる。しかも会社のお金で加湿器まで買っていただいた(部署で共有するものではあるんだけど)。

 

 僕は今までコンビニ→ホテル→イベントと3つの仕事を渡り歩いてきたけれど、そのいずれでも自由に水分を摂らせてもらえなかった。僕は色々と持病があって人より細かく水分を摂らなければいけないんだけど、今までの職場ではいずれも自由に水分を摂らせてもらえなかった。特にホテル時代には採用担当の人に

 「こういう体なんで、水分を頻繁に取りたいんですけど

 「うん、大丈夫! 安心して!

と言われていたんだけど、いざ現場に入った時に直属の上司に

 「すみません、こういう体なんで水分取りたいんですけど

と言ったら

 「知らねえよ先に行っとけよ、お前も同じ給料で働いてるんだから自分だけ特別扱いしてもらおうとしてんじゃねえよ

とか

 「病気を理由に甘えてんじゃねえよ、俺だって水飲みてえのに我慢してんだよ、病人として扱って欲しいなら俺はもうお前に仕事を振らないぞ

と言われたりして、結局体を壊して寝込んで、復帰したら復帰したで「責任感がない」「社会人の自覚がない」とか怒られて今度はメンタルを壊して辞めた。

 

 ・・・いやまあ、辞めた理由のほんの一部でしかないんだけど、このときは本気で自分の体を恨んでいたなあ。

 自分の体にはこの他にも色々と不便なところがあって、最近になって「ハンディキャップ」なんていう便利なことばを手に入れたけれど、ずっと自分が人間として未熟だからだとか、前世で悪いことをした報いを受けているんだとか、色々なことを考えて生きてきた。

 

 で、今の職場なんだけど。

 今いる環境では、自分の身体的特徴を憂う機会がマジでない。今までただの一度も、そういう機会に出くわしたことがない。なんてったってウォーターサーバーが至近にあって飲み放題だし、他の飲み物もいくら持ち込んでもいい。

 とにかく会社は、これを達成しろという課題をすごく明快に投げてくれる。そこには「客の顔色や空気を察知して先回りで行動しろ」とか「自分に落ち度が無くても相手の怒りが収まるまで平謝りしろ」といった理不尽なルールがない。こんな職場は初めてなので、僕はとても感動したし、今までの苦しみはなんだったんだ! という気持ちになった。

 それでその課題をこなすためにはあらゆる手段を使ってもよい。自分が持てる技術やツール、人脈までもを使って、どこをどうしたらよいのかを考える。この作業しかない。

 オフィスは常にクリエイティビティに溢れている。そこでは立場の上下なんていう垣根はあんまりなくて、誰の顔色を伺うでもなく、とにかく課題の達成の為に闊達な議論が日夜行われている。そもそもフロアに並んだ机には仕切りがほとんどないので、机越しに資料を投げあって意見や情報を交換しあえる。Slackなどのツールを使ったやり取りも頻繁に行われていて、袋小路のチームにジョインして助言することもできる。

 

 この職場にはストレスがない。社員のメンタルが常に健康に保たれている。メンタルが健康でないとクリエイティブな発想はできない。会社もそれをよく分かっていて、いかに社員のメンタルを健康に保つかを大事にして職場を設計・運用しているかということがよく分かる。

 本当に上層部には畏敬の念しかない。多分みんなそう感じていて、僕のまわりの社員はみんな上層部を信頼しているように見える。

 退職者にしたって、僕は剣呑な感じで去っていった人を見たことがない。IT企業っていうのは人の入れ替わりが激しい場所だけれど、今のところ「起業のため」「家業を継ぐため」「キャリアアップのため」しか見たことがない。

 納期がヤバいとか案件が炎上しているとかじゃなければ、オフィスの中で殺伐としている場所といえばトイレくらいのものだと思う。

 

 こういう環境作りは僕ら従業員にいい影響を与えているし、組織づくりの観点から勉強になることも沢山ある。

 で、こんなに徹底して「やさしい世界」が作られているのは、一体なんでなんだろうなと考えてみたりもする。

 その答えになりそうな噂を入社当時に一度耳にしていたんだけど、このあいだ別の方向からまた同じ噂話が入ってきたので、今回はそれをちょっと書こうかなと思う。

 

 前置き、長くなりすぎたな・・・

 


将軍たちはひとつ前の戦争を戦う

 職場に多くのインスパイアを与えられるトリックスター的な社員というのは、その価値をきちんと理解している組織ならいざしらず、大抵の現場では疎まれる傾向にあると思う。

 あなたのまわりにいる「変わってる人」を何人か思い浮かべて欲しい。その人に向けられている評価、自分が抱いている感想を並べてみて、そのどれもが肯定的なものであるなら、あなたは幸せな場所で生きている。そんな人あんまりいないと思うけど。

 

 僕の会社はITをやっていて、IT史の転換を現出したソリューションが何たるかを一応だいたいの人が知っていて、その下地になったものについても心得ている。

 例えばスティーブ・ジョブズ

 ジョブズは奇抜なことをいくつかやったけど、その発明のうちで特に重要なものといえば、Macintoshの「製作」だと思う。

 Macが取り入れた画期的なアイディアはいくつもある。WYSIWYGGUI、アウトラインフォント。それ自体はAppleが開発したものじゃなくても、当時パソコンに必要だと思われていなかったそれらを率先して取り入れて、Macをよりデザイナブルにした。

 今でもiPhoneはオシャレなスマホの代名詞のように言われるけど、そのブランドイメージの基礎を作ったジョブズの美的感覚は時代を先取りしていたし、実際天下を取った。マックもそうで、のちのWindowsで実装されて標準的になったパソコンのGUI的価値観みたいなものは、多分ジョブズが無理くりマックに仕込んだ色々なもののおかげなんじゃないかなあと思っている。

 でもこれらは当時、そんなに優先されるべき事柄じゃなかったみたい。上にも書いたことだけど、重要視されていなかったからこそMacが先取りみたいにしてそれを取り入れて、そこから流行ったきらいがある。当時の文献なんかでも、やっぱりジョブズは「異端児」扱いされていたそうで、やっぱり彼はどうみても「変なこと」をする「変な人」だったんだろうなあと思う。

 

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文字ばっかで疲れるだろうから唐突に「浅島のTwitterのヘッダー」をプレゼントします

 

  時代を変えるイノベーションというものはしばしば時代に理解されないもので、でもそういうものがいわゆる「新しいもの」として時代を変革していくのだから、排除することは愚か者のすることなわけだ。当然「おかしなもの」まみれにしたってしょうがないのだけど、自分と交わらないものをなんでも排除した先には衰退しかない。

 特にITなんてのは技術的にも文化的にも入れ替わりが超スピードで起こるんだから、むしろ積極的に「おかしなもの」を生み出したり、生み出せる人を囲ってフォローしたりしないと、とても時代の速さについていけない

 うちの会社もそうで、出来た当時は「おかしなもの」と言われていたものをじっくり育て上げて事業化して、今はそれで食っていたりする。僕はそれの保守作業にもあたったりしているんだけど、上司からよく新しいアイディアを求められる。上司はそれを聞いたあとになにかしゃべるんだけど、絶対に否定から入らない。別にこの人だけじゃなくて、会社全体にそういう空気がある。

 

 「将軍たちはひとつ前の戦争を戦う」という言葉があるらしい。

 戦争になった時に指揮官が参考にする兵法は前回までの戦争に基づくもので、新しい戦い方なんてものは大抵現場の中で生まれる。

 新しい発想に迎合しないことには、現場の技術や感覚がアップデートすることなんてない。だから疑問に思うことはすぐに出さないといけないし、受け入れられなくても共有してみることは大事だし、すぐに否定しないできちんと検証することは大切なことだ。

 僕みたいな軟弱な人間もある意味「変な人」であって、今までの職場では「普通の人」じゃないとして排除というか淘汰されてきたわけだけど、今の会社はグッとこらえて僕を受け入れてくれている。

 


「多様性」の「当事者」

 ここで「噂」の話に戻る。

 上に書いた話はほとんど理想論みたいなもので、うちの会社が実践まで持っていくのはそれなりのコストがあったんだろうなと思う。

 うちの会社も今でこそ出版社に取り込まれているけれど、元々は独立したベンチャーとしてあって、それこそ創業当時は「変な人」を積極的に受け入れていけるような体力なんかなかったはずだし、どこかで転換する出来事があったんじゃないかと僕は思う。

 

 そもそもうちの会社は、マイノリティーに極端に優しい。

 もちろんウェブサービスをやっているのだから当然に配慮しなければならないのだけれど、社内の中できちんとチェックをするためのフローがあるし、このことについて話し合ったり意見を交換したりする機会も設けられている。有志レベルではあるけれど会社はこれをサポートしているし、社内で実例を共有するためのシステムもある。

 表現は自由であるべきというのは共通の見解だと思うけど、ことポリコレ的な議論に関してはみんな口うるさく言うし、とにかく誰かを不快にさせないかということに割と腐心している。誰が使うか分からないコンテンツだからこそ、表現のひとつで誰かを不幸な目に遭わせてはいけないという危機意識がしっかりと根づいている。お客さんにとって弊社のコンテンツは特に生活に必須なものでもないから、運営側が少しでも高慢なところを見せてはいけないんだとしっかりと自覚している。

 この「転換」が生まれた背景には、多分「当事者意識」があるんじゃないかと、社内ではまことしやかに言われている。

 

 これだけ書き連ねてきて何を恐れるんだと言われたらそこまでなんだけど、本当に身バレが怖いのでぼやかさせてください。

 オチだけ書くと、どうにも会社の上層部にトランスジェンダーの人がいるそうだ。

 僕はその人を知らないけれど、僕が知れるだけの経歴を見ても、相当できる人と見て間違いはなさそう。

 どういう経緯でうちのところに来たかは分からないけれど、所謂「トリックスターを囲う」というのをやっているから、こういうことになっている、かもしれない、らしい、というのをこのあいだ耳にした。

 

 僕は本当にこれはいいことだと思っている。当事者のいない組織で多様性について論じたところで、それは外向けの格好だけ整えているわけで、これが組織の中に当事者がいてなされるのであれば、屈託なく「配慮してます!」とできると考えるからだ。

 組織の中に色々な属性をもった人がいると、その属性を持ったクライアントと相対する時に「強み」になる。このことはうちの会社のかなり大きな武器になっていると思う。

 


信念と熱量

 誰も不快にさせないイノベーションというのは難しいかもしれないが、敵を作らないデザインというのは心がければまだ誰にでもできることだと思う。

 でもそれが難しいから世界は四苦八苦しているし、ポリコレなんて言葉が話題に上がる。心がけの元になる知識も、当事者じゃないと掴みづらいところはある。

 会社という場所は、組織というものは、多くの人が協同で何かを成し遂げようというチームであって、誰にでも通じる普遍的なデザインを達成しようとするなら、様々な「目」を持った人たちを会社、組織にジョインさせて、意見をすり合わせるべきだと思う。当事者でない人が机の上でいくら悪戦苦闘したところで、当事者の一見には如かない。

 

 多様性は強さになる。チームに多様性が確保されていれば、それだけクライアントの裾野の広さを得ることができる。それが覚束ない現代日本では、ことレッドオーシャン気味な業界においては、拡張できる裾野の幅はそのまま伸び代となる可能性がある。

 ただこれからは、どれだけ取れるかというより、どれだけ取りこぼさないかになると思う。2020年には五輪も控えている。開かれた国にしようとお役所が躍起になっている。理解しろとは言わなくても抑圧はしてはいけなくなってきている。そういう流れの中で僕たちは生きている。

 抑圧というのは物理的なものだけじゃない。メンタルにくるようなナチュラルな差別を自覚なしにする人間が日本には多すぎる。そう思わないようになるには時間もコストもかかるけど、その言葉はまずいと自覚させることならもっと安いコストでできる。違和感を表明できる当事者をチームに入れればいいだけなんだから。

 

 最後にデカい身バレ要素をぶち込んで強引に締めることにする。

 僕のいる部には、社是ならぬ「部是」がある。

 僕が勝手にそう思っているだけかもしれないけど、誰が置いたか知らないが、部屋の壁にデカデカと貼り出してある。

 

 それは「信念と熱量」。

 達成したい目標がある時、そこへ向かうぞ、達成するぞという信念が、プロジェクトに一本筋を与える。その幅を太くする、多くの人を巻き込んで力強くことを進めるには、仕事に当たる人間の姿勢、熱量が必要だ。

 人は人の信念や熱量を見ている。そこにかける思いの丈を計っている。誰かの心を突き動かすには、動かす側が情熱を持っていなければいけない。それが集約された言葉が「信念と熱量」なんだと解釈している。

 

 ウェブサービスは評判が命。人の感情を揺さぶるコンテンツを作るには、否応にでも作り手の覚悟が必要になる。

 この会社はマイノリティに場を与えてくれる。マイノリティに力を求めてくれる。僕はこの会社に、上司に言い訳ができない。覚悟を持って僕をプロジェクトに当たらせてくれているのなら、僕はその覚悟に応えなきゃいけない。

 僕は今をとても幸せに生きている。明日大学で債権の試験があるのにこんなエントリを書いてしまうくらいには、今の職場で働けることを嬉しく思っている。

 

 適材適所なんて言葉があるけど、本当は多様性を尊重するなんてことはどんな業界でもなされるべきことだと思っている。

 極端な話、みんないろんな髪の色で働いてていいし、もっと細かく休憩を取っていいし、もっと気楽に休みたいと言い出せるようになるべきだと思う。正社員でも派遣でもバイトでもそう。

 売り手市場なんて言うけどこの国の経営者はまだまだ自分に甘い。仕事にメンタルをやられて苦しんでいる人は僕のまわりだけで何人もいる。いろんな人間がいろんな生き方で生きている。その全てを客として取り込もうとするなら、まずは従業員として取り込むことだ。そして彼らが働きやすい環境を作れば、いずれ客の支持だって得られるようになるはずだと、僕は考える。

 

 上司がコスプレイベント外でも女装するようになったって、僕は受け入れると思う。

 むしろ一度職場でやってみてほしい。僕は待ってる。割と本気で待ってる。