朝自慢

北朝鮮のアイドルと海産物について

無題(2)

1

 成績不振を理由に大學から呼び出しを受けたのは9月3日だった。職場のPCでブラウザから弁論部の顧問にメールを打とうとoutlookにログインしたら「令和元年度前期修学指導面談について」なんていう、いかめしいタイトルのメールが受信箱にあるのが目に入った。
 

本日、令和元年度前期の成績が、K-SMAPYⅡにて発表されましたが、あなたの成績は、各学部・学科(専攻)が定める所定の基準に達しませんでした。
そこで、学修計画の見直しと改善を支援するため、所属学科の教員による面談を実施します。
この面談は、『履修要綱』(修学指導と退学勧告)に明記されているとおり、
所定の基準に達しなかった学生に義務付けられている重要な面談です。
日程表を確認し、指定された日時・場所に必ずお越しください。 

 

 寝耳に水だった。あまり心当たりがなかったが、呼び出されたからには行くしかない。

 一方的に指定された日時は弁論部の夏合宿とバッティングしていた。勘弁してくれ。僕は仕事のない日に大學へ行って担当部署の直通アドレスを聞き出して、何往復かのメールで日程を調整した。

 9月27日、僕は行政法の教授と面談をした。

 僕はある単位の取得状況が規定に乗るかギリギリのところで、危ないから機械的に呼び出されたまでとのことだった。どうも話しぶりだと呼び出し通知が飛ぶ範囲がかなり広いらしく、その中でも深刻度はあまり高くないものとのことだったので、説教とかがあったわけではなかった。ひとまず安心した。

 しかし書類に目を落とした教授が、ふいにこんなことを聞いてきた。

 ――君は授業態度はそんなに悪くない、1年前期の成績もよかった、でもそれ以降出席率が徐々に落ちて、成績も右肩下がりだ、一体これはどうしたんですか。気になります。

 

 

2

 誰かに助けてもらわないとどうにもできないのに、誰かを頼ることを極端に怖がる自分がいた。

 誰かに信用を寄せると、そのほとんどの場合で裏切られた思いをした。僕の言葉がうまく伝わらなかったり、伝わったのに理解してもらえなかったり、理解してもらえたのに同情してもらえなかったり、同情してもらえたのに助けてくれなかったりすることがほとんどだった。僕は誰かに気持ちや考えを伝えることが苦手だ。やっとの思いで伝えたそれを、大抵の場合は蔑ろにされた。誰かに助けて欲しいのに、誰も助けてくれない。

 都会の人は冷たいというけれど、それでも僕の今までいた環境よりも、渋谷に来てからの人たちのほうが暖かかった。信用できる友人を見つけることは容易ではなかったけど、僕の弱さを馬鹿にしないで受け止めてくれる人に出会うことができた。

 それでも、それでもそういう人との出会いを追い求める過程で、僕の弱みを知るだけ知って何もしてくれない人たちとの「出会い」もまた経なければいけなかった。というより、他人の痛みや怖さや生き辛さにいちいち共感していられないほど、今の日本は殺伐としている気がする。僕も他人に多くを求めることを諦めざるを得なかった。自分の力の及ばないところを、及ばないと思っていながら自分で埋め合わせをして、失敗すれば自己責任だと後ろ指を指されることを、いい加減学習しなければいけなくなった。

 先生、僕本当は駄目なんです。生活は破綻しているし、将来のことが何も分からないんです。

 助けてください、なんて強い言葉は使えなかったけれど、声が震えるのをどうすることもできないまま、僕は俯ききりになっていた。

 ストレスで目眩がして、泥酔したようだった。

 泥酔といえば、去年の夏のトラウマ―――。

「浅島くん」

 教授が僕をじっと見ながら言った。

「君には助けが必要だ」

 

 

3

 僕と教授が学部長室を出た時に、3限の教授が紙束を持って横切った。

 行政法の教授がもうひとりに声をかけて、何か耳打ちをした。

 3限の教授がサムズアップを僕に見せて、足早に廊下の奥へと消えていった。

 行政法の教授はエレベーターホールのドアを開けながら僕にこう言った。

「今日の3限、おやすみしましょう。僕の見てる4限も来なくていいですよ」

 

 百周年記念館の学修支援センターに連れて行かれそうになったから、弁論部の顧問の先生がいて気まずいです、と申し出た。そうしたら今度は、若木タワー3階の学生相談室に連れて行かれた。

 もう僕はヤケクソになって、教授とカウンセラーを前にして、直面している洗いざらいの問題を吐いた。

 家にお金がないこと。
 母が精神を病んでいて、それが深刻なこと。
 どれだけ説得しても病院に行ってくれないこと。
 そもそも病院に行かせるお金がないこと。
 奨学金を限界まで借りて家族の生活費にしていること。
 父が大阪勤務になって、ますます僕が母を支えないといけないこと。
 母が職場で虐げられていて弱っていること。
 それを家で八つ当たりしてくること。
 その原因は母さんなんだろうななんて言えないこと。
 父が母をかばうための子供を省みないこと。
 そのせいで兄弟がみんなストレス過多になっていること。
 弟が耐えきれなくなって一人暮らしを始めたこと。
 弟が家族との連絡を極力断つようになったこと。
 それで母がますます不安定になったこと。
 ますます母さんが僕と妹に理不尽に当たるようになったこと。
 教科書やプリントを勝手に捨てられたりしていること。
 整理してある荷物をぐちゃぐちゃにされること。
 それを指差して片付けろと怒鳴られること。
 借りたり買うのにお金を工面するので人間関係を壊したこと。
 たまに死ぬぞ死ぬぞと言いながらスト缶を飲むこと。
 酔っ払うと100%暴れて手がつけられなくなること。
 暴れると手が出ること。
 大暴れしたあとに必ず大泣きして謝られること。
 翌朝には元に戻っていること。
 家族の中で僕が一番学歴が低くて槍玉に上げられること。
 なんなら自閉症睡眠障害があって身体的に劣っていること。
 お金がない原因の一部に僕の治療費と浪人があること。
 家族の中で僕の地位が特に低く同情してもらえないこと。
 僕の奨学金を勝手に使われても文句を言えないこと。
 ここ一年半、自立するためにがむしゃらに働いたこと。
 ホテルバイトで人間関係に困って退職したこと。
 出版社が性に合って時給1100円で月15万稼いでいたこと。
 僕のいた部署がなくなってバイト一同が放り出されたこと。
 給料から生活費と学費を抜いた分で投資をしていたこと。
 50万貯金して60万に増やしたこと。
 そのお金を元手に一人暮らしをしようとしていたこと。
 不動産屋をまわって物件を決めていたこと。
 父に保証人を頼んで一度は引き受けてもらえたこと。
 その後に母さんを支えるために家に残って欲しいと撤回されたこと。
 この母さんを選んで生まれたのはお前だと取り合ってもらえないこと。
 叔父を頼ろうとした矢先に叔父と同居している祖母が倒れたこと。
 母さんに告げ口されて叔父がカンカンに怒っていること。
 家族や親に愛されている実感が全然ないこと。
 誰かに愛されている実感もないこと。
 誰かの何者かになりたいのになれていないこと。
 誰かの何者かになれる気もしなくなってきたこと。
 何者かになりたい一心で法律を勉強していたこと。
 家や仕事にリソースを取られて勉強・睡眠の時間がなくなったこと。
 おまけにストレスで不眠症が悪化して全然寝られなくなったこと。
 生活が破綻して勉強どころではなくなりつつあること。
 落ちていく成績が不安に拍車をかけていること。
 もう法律で何者かになる希望も潰えつつあること。
 夢を語れる次元に自分は最早いないこと。
 そういう時に僕を助けてくれていた人を助けられなかったこと。
 自分が何かの役に立つ気が全くしなくなってしまったこと。
 裏切られたくないはずの自分が誰かを裏切ってしまったかもしれないこと。
 何もかもが不安なこと。
 不安で仕方ないこと。
 不安で不安で夜も眠れないこと。
 それが比喩でもなんでもないこと。
 朝起きても大學に行く支度が億劫で出られなくなってしまったこと。
 食事と睡眠以外何もできない日が急激に増えたこと。
 体重が10kg近く落ちたこと。
 洗っても洗っても腐ったような体臭が落ちないこと。

 

「臭いですよね? 臭くてすみません」

 本心から申し訳なくて申し訳なくて仕方なかった。

 余計なことも沢山喋った。

 だからこれは吐露というより悲鳴に近かった。

 この人たちが敵か味方かなんて全然分かっていなかったけれど、まとまらない頭の中をところてん式に繰り出す以外のことに、頭のリソースを回している余裕はなかった。

 それくらい追い詰められていた。

 

 

4

 特例で、その後一週間の全部の授業が出席免除になった。

 免除、とは言っても、あとで僕のほうから然るべきところに然るべきタイミングで申告しないといけないらしく、僕はもうそれが面倒くさいと思い始めている。

 そもそも精神的に一番底だった状態からは抜け出しかけていたので、翌週の授業の半分くらいには頑張って出席した気がする。

 毎週、決まった曜日に相談室に行くことになった。

 時間が限られていたので、あの時に話しきれなかったことを毎週毎週、少しずつ話していた。

 僕は早く現状をどうにかしたかったのだけど、カウンセリングで大學に通うモチベを確保という意味合いもあったし、僕の抱える問題は一朝一夕で解決できるものではなかったから、頃合いを見て助言してくれたり医療機関を紹介してくれるもんだと思って、気長に通っていた。

 

 そのタイミングは案外と早くやってきた。

 10月28日に、大學に精神科のドクターがお見えになって、相談に乗ってくれるとのことだった。

 カウンセラーにお願いして予約を取った。僕が今まで話したことを伝えて貰えるとのことだったので、振り絞るように出してきたものをまた繰り返し出し直す必要はないのだ、と少し安心していた。

 

 当日。

 ドクターは手元の書類を見ながら、僕にいくつか確認を取ってきた。

 そして

「今までよく生きてきたね。発達障害もあるのにまわりはずっと理解がなかったんだ。環境としては最悪だね。小学校なんか生き地獄だったでしょう。今の方がちょっと楽だったりする?」

「最近は家にあまり帰っていません。余計に寝不足になるからよくないんでしょうけど、家の外にいたほうが却ってぐっすり眠れるんですよね」

「ふーん・・・」

 

 ドクターは僕の境遇について、きちんと話をきいて理解してくれたし、最大限の表現で同情もしてくれた。僕は解決の糸口を掴めそうな手応えを感じていた。

 でも僕はこの時、大きな、致命的な勘違いをしていた。

 

「先生、僕はどうしたらいいでしょうか」
発達障害の診断をした時のクリニックにかかってください。カルテも残っているでしょう。私からはそれ以上、何も言えることはないですから」
「先生に診断していただいて薬を処方してくださることは」
「できません」
「紹介状は書いてくださりませんか」
「できかねます、病院でいちからお話になってください」
「お金も時間もないんです」
「そこは頑張ってください」
「保険証は母が持っているんです」
「折角なんでお母様も一緒にかかったらどうです?」
「感じかたを変えられないなら環境を変えるしかないんですよ」
「そうですね」
「変えられるように見えますか?」
「無理でしょうね」
「僕はどうしたらいいんでしょう」
「クリニックにかかってください」

 

 考えてみれば当たり前ことだ。精神科医といえどもあくまで学校に来て相談に乗ってくれるだけなのだから、医療行為ができないのは当然のことだったんだ。

 僕はドクターを前にして、既視感を感じながらそのことを急速に理解した。そうしたら、なんか僕の中にあった熱みたいなものが、サーッと引いていった。今まで解決できなかったものが、一朝一夕で解決できるわけがないのだ。カウンセラーにとっても精神科医にとっても、あくまで僕は他人で、ビジネスとして他人に同情する態度を持つことはあっても、それを間に受ける人間がいたらそいつは馬鹿だ。

 カウンセリング前までいた遊戯席に戻った僕は、ちょっと晴れやかな気持ちになっていた。軽い絶望感みたいなものかもしれない。どんな形でもお金を稼げて親の介護ができるなら、少なくとも家の中には居場所は見いだせるわけで、虐げられていようが「誰かと繋がっている」状態は確保できる。人間はなるようにできていて、収まるところに収まるのかもしれない。それを僕は、どうすることもできないと呼んで悲観しているに過ぎない――。

 確定的に誤りであることは分かっていながら、僕はその思考に逃げざるを得なかった。何かがどうにかできるかもしれない、という淡い期待は儚く散った。今日が昨日に、明日が今日になるような生活が、結局綿々と続いていくだけで、そこからは逃げられない、そんな感じを持っていた。

 

 

5

 同日18時、僕の体は目白の学習院大学にあった。

 哲学サークルPeripatosの活動にお邪魔させていただいていた。

 当日の議題は「友人について」というもので、友人の定義や境界について、参加者が思い思いに発言をしたり、誰かの発言を元にして議論をするなどした。

 この時間は僕にとって非常に楽しく、有意義なものになった。

 

 途中まで無償の愛とか奉仕の精神とか言っていたものが、終盤にかけて「見返りの望めない友情は長続きしない」とか「双方向がキモ」って話になっていって、僕が「皆さん結局見返りを求めちゃってますよね」みたいなことを言ったところで時間が来て終わってしまったんだけど、僕は正直に言うと、あれは反論してもらいたくて投げたものだった。

 少しモヤモヤしつつも、それでも楽しく議論をしていたことには変わりなくて、最後まで皆さんはフレンドリーであったし、終わった後に食事にも誘っていただいた。僕は最後まで、この集まりをとても楽しんでいた。

 

 帰りの電車に乗りながら、僕の言葉に反論がなかったことを思い出した。

 結局人間が誰かとつながる時には、その繋がりを持つのにかかるだけのコストに対するリターンを、表では思っていなくても心のどこかで望んでいて、奉仕に対して見返りがないとプライオリティの低下という形で関心が薄れていって、それがそのまま関係の希薄化をもたらす。

 まあそうなんですよね。結局そうなんです。

 

 昼のドクターや、普段のカウンセラー。僕との関係はビジネスライクで、これからメンクに罹ったとしても、そこの担当医師とも似たような関係に終始するのだろう。

 大學の先生もそうだ。師弟関係というには、僕らはの関係はドライだ。

 でもそれが、例えば同じバイトの同期、サークルの友人、ツイッターのFF、地元の友人、と親密度が近づいていけども、その関わりの強さの度合いはグラデーションであって、ドライさが完全にゼロになることなんてないんだと思う。もちろん普段の友人関係にドライさがないほどの親密さを求める人なんていなくて、恋人でさえもそうなんだと思う。そこを超越しようとする試みが婚姻関係で、超越していることを前提に出来ているのが親子関係、兄弟関係だと思う。

 つまり、一番ドライから縁遠いところにあるのが親子や兄弟、次が夫婦、で段々とドライに寄っていく、と考えると、自分の価値観の中にある『一番親密な状態』の定義が、自分と両親や兄弟との関係ということになる。

 一番信用できる人間は父さんと母さんで、という状態にあって、実際にその関係にドライさがないことが、そこからドライさのグラデーションが加わっていく人たちにも一定の信頼感・安心感を持てることの根拠になっているのかもしれない。自分はこれだけ人を信じているのだから、それよりも信頼度が薄れる人には、親への信頼を希釈したくらいの信頼を持てばいいのだ、という調整ができる。

 僕にはそれがない。

 際限なく人を信じられないし、逆に際限なく誰かを信じてしまう。

 それで人に迷惑をかけたことがあった。ある人に強い負荷をかけてしまったことを今でも悔やんでいる。

 では僕はどうすればいいんだろう。

 それが分からない。

 それが分かりたいけど、誰も教えてくれない。

 

 

6

 僕はどうすればいいですか。

 助けてください。